2010/12/30

アラゲホンジ!アラゲホンジ!アラゲホンジ!

太鼓の世界から飛び出せない自分がとても小さく見えました。

「こういうことやりたかったねん!」というバンドにまた一つ出会えました。
あまりにやりたいことと近すぎて、自分でやるより見て踊ってる方が楽しい!と思ったくらいです(笑)。

アラゲホンジというのは、「東北民踊ロックバンド」を標榜する和洋折衷(というのが適当なのかは?ですが)バンドで、フジロック出演経験もあります。
この日のバンド編成は、Vo&G,G,B,Dr,和太鼓・鳴り物×2~3、篠笛、踊り、といったところ。リズミカルなギターをバックに…という野暮な説明より実物見た方が早いですね。




津軽、秋田などの東北民謡以外にも、阿波踊りや石川の唄、「りんご追分」などもあり、「ラッセーラ、ラッセーラ」「あやっとさー」と踊りっぱなしでした。

踊ってみてわかりましたが、あえて単純化すると、七頭舞や荒馬はタテノリ系、阿波踊りはヨコノリ系のような気がします。ロックのように拍を強調する音楽とのマッチングも違和感なく、それに加えて邦楽には基本的にない「和音」がバックアップして楽しい雰囲気も倍増。踊りの基本的な部分には洋の東西はあまり関係ないんだなー、と感じました。

1月4日に吉祥寺曼荼羅2で年明けライブがあるそうなので、興味ある人、踊りたい人はぜひ!

(2010.12.28 青山月見ル君想フ)

2010/12/21

Pop を宿したRock~チャットモンチー~

OKAMOTO'Sが19歳なのにいちばん驚いた(笑)

それはともかく、カレンダー見ると1年半ぶりのチャットモンチーでした。
今年は徳島(チャットモンチーの出身地)に阿波踊りを見に行ったのと、彼女たちも徳島で作ったアルバム『Awa Come』を秋に発売したものあって、これも楽しみにしていました。

『Awa Come』から4~5曲、この日発表された来年3月23日発売のNew albumから初披露の新曲2曲、逆にメジャーデビュー前のアルバムから「夕日哀愁風車」をやり、民生と同様、新旧入り混じったセットリストでした。

僕が見ている他のバンドに比べると(これがまたみんな上手いので)、演奏力としてはまだこれからの部分が大きいですが、やり慣れている曲ではかなりまとまった演奏、バンドサウンドになってきた感があります。「青春の一番札所」「親知らず」「Last Love Letter」ときて、4曲目の「Make up! Make up!」あたりから演奏も落ち着いてきてグルーヴやドライブ感に手応えも感じられました。逆に新曲はやはりちょっとおっかなびっくり感が・・・(笑)
しかし全体としては、アレンジを見ていても演奏自体をいままで以上に楽しめているようで、来年のツアーが楽しみです。新曲もよかったので、アルバムも楽しみ。

本編クライマックスでアクセル踏むあたりでは、Twitterでのリクエスト1位になった「夕日哀愁風車」を演奏。「(歌詞が若い時代のもので、26~7歳で演奏する曲じゃない、と)ずっと避けてきた曲」だったそうですが、中学生に戻れなきゃロックなんてやってる意味ないです(笑)。吉井和哉は「中学生を踊らせてこそロック」と言ったし、ヒロトは「14歳にしてやるぜ」と歌っています。デビュー前の彼女たちはもちろん知りませんが、この日この曲の演奏はおそらくその当時以上にパンキッシュで、「それでこそロックだよ!」としたり顔になって聴いてしまいました。
ロック聴きながら歳をとると大人と子ども両方の気持ちが分かるので(そう思ってるだけかも知れませんが)、まんざら歳をとるのも悪くない、年齢はやはり「重ねる」ものだなあ、と思います。

で、オーラス、アンコールのラスト「やさしさ」では、〝明日ダメでも 明後日ダメダメでも 私を許して それがやさしさ〟と歌詞1フレーズをひったすら繰り返し音と感情を増幅させていくチャットモンチー的ロック・ダイナミズムが余すところなく発揮され、しかも演奏もよくて、ミドルテンポのロックの醍醐味がたっぷり出ていました。ロックっぷりは過去最高で、確実に力をつけていますね。

(2010.12.18 中野サンプラザ)

2010/12/20

異色彩のブルース~Ego-Wrappin' with 八代亜紀

「舟唄」が頭から離れないー。
期待していましたが、他の人たちも期待していたらしく(当たり前か)、期待以上に盛り上がりました。

年末恒例の、東京キネマ倶楽部でのライブも今年で10周年、チケット倍率は毎年3~40倍らしいですが、幸運なことにここ数年は毎年行けています。デビュー当初はほんとに取れなかったんですが。

↓Midnight Dejavu 10年の軌跡


10周年と言うことで、本数も前後半合わせて8本、他に大阪とソウルの計10本。前半はゲストを呼んでのステージと言うことで、チケット当選後、ゲストの発表を心待ちにしていました。発表されたとき、意外性はあったものの違和感はまったくなく、あの元キャバレー(キネマ倶楽部は、映画館を改装して作ったキャバレーを改装して作ったライブハウス)で八代亜紀の生歌が聴けるとあり、メールを見て思わず「よし!」とつぶやいてしまいました。

当日、いつも終演が遅いので、予め軽く飲んだあと会場へ。
いつものセットを前にいつもの位置で開演を待っていると、客電が落ち森ラッピンとGoship of Jaxxのメンバーが登場。アニバーサリーイヤーのためか、珍しく森ラッピンのMCから始まりました。「10年やって来られて感謝している」みたいな話のあと、1曲目は「Work Song」、2曲目も「買い物ブギ」と、どちらも大好きなカバーが端から続きます。この辺も自分たちのルーツの提示を意識したのでしょう。

↓キャノンボール・アダレイ


↓笠置シヅ子は「ラッパと娘」がいっちゃん!


そしていつもとは少しまなざしの違うよっちゃん。
目が「どや?どや?」と強く訴えています。どや?と言っても「ドヤ顔」のそれではなく、「私らこんな感じやけどみんなはどう?」という顔。後からわかりますが、そうとう緊張していたようです。それはプラスに作用していましたが。
さらに髪型も盛り盛り。身長だけでも八代亜紀に対抗しようとしたようです(笑)。

中盤、「行くでぇ!」の号令のもと、「雨の慕情」の前奏がスタート。「女神」が姿を見せる前からフロアは最高潮にヒートアップし、よっちゃんがボーカルを取るというネタをかました後、演奏をリスタートさせて本人が登場、最高潮かと思われた会場はさらにヒートアップし、果ては「雨 雨 降れ 降れ もっと降れ」の大合唱に。やはり国民的スター、これぞ国民的名曲、というのを目のあたりにしました。

会場がキャバレーだったクラブシンガー時代の話を前振りに、スタンダードジャズのナンバー「You'd be so nice to come home」をよっちゃんとのツインボーカルで披露した後、まあ「お待ちかね」との表現しかできない「舟唄」へ。この流れの前振りのトークが心を打ちました。

話の流れの中では何気なくスルーしてしまうような話題だったのですが、こんな話でした。
「昔、演歌は〝流行歌〟と呼ばれ、誰もが知っていた。そして毎年、レコード大賞を取るようないい曲が4曲も5曲もあった。その中で『雨の慕情』が一番になった」という話です。
いまの音楽恐慌でもミリオンは出ますし、多くの若い人が知っている歌はもちろん生まれます。しかし「国民みんなが知っている曲、みんなが歌える歌が生まれなくなった」と多くの人が指摘するのも事実なようで、昔はみんなの心をつかむ曲が多くあったようです。
もちろんこれは、音楽の作り方というより、我々の生活スタイルそのものの変化によるところが大きいのだとは思いますが、和太鼓という老若男女に愛される文化に携わる人間としては、世代を超えて親しまれる歌がもっともっと生まれて欲しい、と思います。

「舟唄」で女王が退場したあと、「ブルース対決」ということで「色彩のブルース」へ。大好きな曲ですが、なにぶん「舟唄」の余韻が強すぎて、この曲といえどそれを消すことはできませんでした。次の「サイコアナルシス」でやっとEgoモードを取り戻せた感じです。



アンコールのラストでNat King Coleの「LOVE」をふんわりと聴いて、余韻を感じながら家路へ。
先日のBlues-the.Butcherではほんもののブルースに浸りましたが、今度は日本で言う「ブルース」にその後数日浸り続けることができました。

何やら今年はライブの当たり年のようで、過去最高クラスのアクトが続きました。
これでタイガースが優勝してれば言うことない一年でしたが(笑)
(2010.12.10 東京キネマ倶楽部)

2010/12/18

King of Rock Go Ahead !! ~奥田民生~

お気に入りのアーティストのライブに行くといつも、「こいつが一番!」と思いますが、やはり民生は民生、「King of Rock」でした。

いつものライブにも増して、戦いの最前線を飄々と進む彼の姿がかっこよく見えたのはなぜでしょうか。よくわかりませんが、今回不思議な感覚だったのが、昔の曲が昔の曲に聞こえなかった、ということです。

楽曲の良し悪しとか特徴、ということとはちょっと違い、また、「古い曲に新しい命が吹き込まれた」というのとも少し違います。
1曲目は僕の中では5本指に入る「人間2」。その後も「彼が泣く」「恋のかけら」と旧作からの連続で、4曲目にやっと今作『OTRL』から「音のない音」をやりました。セットリスト全編を通しても、新旧織り交ぜた構成だったのですが、何というか、今までのアルバム全部がこの前発売された、みたいな感じ。上手く言えない(^_^;)。ソロデビューした10数年前から今までの時間が圧縮された感じです。時の流れを飛び越えたような・・。

キャリアが四半世紀を超えたこと、ユニコーンを再結成し、「バンドマン」という立ち位置に再び立ったこと、現バンドメンバー(””)になって数年たち、バンド力も決定的な水準になっていること、〝公開宅録〟という誰も考えつかないような裸一貫の勝負でアルバムを作り、おそらく無駄な思考を(今まで以上に)そぎ落としたこと・・・などなど、たぶんいろんな要素・要因があったのでしょうが、それがタイミングを一にして〝降りてきた〟状態にあるのでは、という気がします。ちょっと神がかっている感じです。

バンド力で言えば、前のバックバンド(G:長田進、B:根岸孝旨、Dr:古田たかし、Key:斉藤有太)の演奏として最高の到達だと僕が思っている「E」から、「ハネムーン」へ中盤の演奏を聴いたとき、「このバンドもついにここまで来たか」と感じました。「E」のエレキチューンにもしびれましたが、とくに「ハネムーン」は、歌詞の深遠な切なさをそのまま表現するかのような演奏で、圧倒されました。

「3曲目がピーク、あとは終わりに向かってテンションは下降線」という、いつもの天の邪鬼トークと裏腹に、いつも以上のテンションで吠えまくる民生。アンコールで出てきたときにツェッペリンのリフを奏でて(危うく?「Whole Lotta Love」が始まりそうになりましたが)、演奏したくてうずうずしている有太&雅史、「50歳児」(実は来年還暦)と呼ばれ子どものようにはしゃぐ礼さん・・・過去の民生のライブのなかで、1,2を争う出色の出来でした。齢五十を待たずしてミュージシャン仲間から「レジェンド」と呼ばれるのも頷けます。

個人的には、僕が三十歳になるときに発売された「花になる」(僕の曲だと勝手に思っています)が久しぶりに聴けたのもよかったです。その当時はあまり思いませんでしたが、相対的な年齢差が縮まって来たせいか、「花~」を聴いて、彼の姿を見て、「民生のような男になりたい」と初めて思いました。どうすりゃいいのかわかりませんが(^_^;)。

民生はおそらく、(暗い意味ではない)展望のない世界、つまり道も光もない世界、進むべき方向さえ指し示されていない世界の先頭を走っている気分なのだと思います。道しるべがないのは芸術だから当たり前かも知れませんが、彼の後を追いかけるミュージシャンはゴマンといることが、「方向はないのに先頭がある」この世界の面白さと厳しさを象徴しているのではないでしょうか?
(2010.12.14 神奈川県民ホール)

2010/12/10

ぜひ読んで欲しい記事

マサのブログです。
天然ガス採掘に関する記事。日本も無関係じゃないはずです。
http://taikonnection.blogspot.com/2010/12/blog-post_09.html

2010/12/08

30年のトップランナー~林英哲~

さすがに圧巻、さすがに林英哲のステージでした。

僕の好みとは少し異なりますが、和太鼓界ではいわゆる「一人打ちスタイル」を築き上げた草分けであり、現在も最先端を行く押しも押されもせぬ第一人者です。
タイコウチの端くれとしてはたまにチェックしとかないと、と思ったのと、通っている床屋の常連さん(ヴァイオリニスト)がゲストで出演される、ということで、久しぶりにソロコンサートに足を運びました。
行ってみて知ったのですが、久しぶりだったのもそのはずで、単独公演は11年ぶりだったそうです。

第1部はセット太鼓中心、第2部は大太鼓中心のプログラムで、第1部は率直にいって面白みに欠けていたうえに、S席なのに演者が見えない局面があり、「がっかりだー」と思っていましたが、一転第2部はこれが60の声を聞こうかという人とは信じられないくらい、圧巻でした。

大太鼓をこれほど楽器として打ちこなしている人、使いこなしている人はいないでしょう。
彼の太鼓(ビートや音)は直線的なので、僕らやそれより若い世代になると、セット太鼓ではもっと揺れや丸みが欲しくなり音楽的な好みは異なってしまうのかも知れませんが、大太鼓はもやは独壇場。見事に手玉にとられた感じでした。

ゲストのヴァイオリン&オルガンとのコラボは、ヴィターリという名前からしてイタリア人?の曲をやりました(僕はよく知りません)。前半は決まった曲に太鼓をあわせてる感じで、大太鼓の魅力がいまいち発揮されませんでしたが、後半、即興(ではないんでしょうが)的な部分にさしかかると、怒濤のような音で会場を包み込む、というか音の飽和状態にします。人の曲を使わずに、最初からインプロで行った方がよかった気がしますが、それにしても、あの齢にして他の追随を許さない大太鼓は見事というほかありません。

読経とのコラボもありましたが、これははじめから期待していたので、ばっちり好みの音楽が聴けてラッキーでした。

というような複雑な感想のステージでしたが、英哲さんの歳を考えるともうあんなものは見られないんでしょうかねー。見ておいてよかったです。
(2010.12.6 サントリーホール)

2010/12/07

夜祭り終わって冬が来た!

ここ数年、なんだかんだとほぼ毎年行っている秩父夜祭。
今年はメインイベントが金曜ということもあり、響からも10人弱が参加しました。僕と秩父の付き合いもそろそろ20年になろうかというところで、チチビアンの知り合いや友達も増えてきました。

僕は夜祭りではなく春に山田地区で行われる春祭りにもっぱらお世話になっているのですが、太鼓組はとりわけ「人の貸し借り」が多いらしく、山田の友達が夜祭りの山車に乗ってたり、夜祭りの町会の打ち手が山田の山車に乗ったりしているので、夜祭りでも知り合いに会うことが多いです。

報道発表では21万人超の人出だったようですが、「こいつは来てるだろうな-」と予想したチチビアン全員に会えたのは、何か吸い寄せられるものがあったのでしょうか?(笑)

秩父屋台囃子には、特に地打ちに独特の「訛り」がありますが、町会によって微妙に訛りが違うのがおもしろいところです。
さらに、笛も太鼓も即興というかなり珍しいお囃子(普通は笛のメロディは決まっている)ため、「手ぐせ」にも町会の違いがあらわれます。

僕が乗せてもらっている春祭りの山車には、夜祭りの町会である「本町」「下郷」「上町」から助っ人が来て、かなりブレンドされたお囃子になります。
「手」だけでなく、スタイルも町会によって違います。これは、山車の内部構造がそれぞれ違い、したがって太鼓の乗せ方もそれぞれ違うので、自ずと「振り」が変わってくるためです。
地元でお囃子をがっつりやってる人なら、一目見ただけでどこの町会かわかるようですね。

僕もほぼ人生の半分、長い付き合いになりました。秩父を離れて仕事をし、お祭りのときだけ戻ってきて会う友人もいます。もはや「第二の故郷」のような心持ちです。

この日20℃近くまで上がった気温は、明け方0℃近くまで下がりました。
「秩父路に冬を呼ぶ夜祭り」の面目躍如といったところです。
そして「山田の春祭り」まで、秩父地方は厳しい冬に入ります。

2010/12/02

ROCKで踊れ!〜Triceratops〜

どうやら〝踊れるロックの最高峰〟という称号を与えられたらしいTriceratops
実際のところその通りです。タテにもヨコにも揺らせるバンドとしては唯一無二の存在、タテノリの振幅×ヨコノリ振幅の値=ノリの「面積」は、国内最大だと思います。

等身大の詞世界とキャッチーでラブリーなメロディ、それに対置するかのような、ギターリフ主体のコアなロックサウンド。そして何よりも、それらを一つの音楽にまとめ上げる確かな演奏力と野太いクルーヴ…褒めすぎかも知れませんが、数多のバンドに真似できるレベルではありません。

今作『We Are One』はそんな彼らの彼ららしさが全面ににじみ出ている作品です。藤井フミヤMay.J、菅原卓郎(from 9mm Parabellum Bullet)という三組とのコラボがいっそう、彼ららしさを引き立てています。

彼らのライブに行くようになってもう10年ほどになりますが、相変わらずVo.の和田唱は口から生まれたかの如く多弁(≠雄弁)で、しゃべりだしたら止まりません。滔々と「リ、リフってのは…」「ブブ、ブルースってのは…」とハート先行でアツく語るシーンはもはやライブの定番とも言えます。
「半径50cm(の世界しか歌わない)」と言われた1st,2ndから3rdアルバムへ、歌詞の世界観が変化し始めたころから、一貫して「ロックを高みに持って行きたい」と話していましたが、10年経ち「踊れるロックの最高峰」という称号を得て思うのは、「自分の曲を聴いてくれ、俺達を見てくれ」という欲求以上に、「ロックってこんなこともできるんだ!」ということを伝えたい思いの方が強かったのだということです。

奥田民生も「自分とお客さんが楽しめるのであれば、(ライブでやるのが)自分の曲である必要は全くない」とよく言いますが、その無欲さが、逆にみんなに愛される曲をつくることにつながっているような気がします。必要以上の我欲を捨ててこそ、普遍的な芸術の価値に接近できるのかも知れません。

そんな彼らはライブでよく、カバーや名フレーズのメドレー、あるいはインプロヴィゼーションなどをやります。
今回はサプライズでMay.Jが出演したこともあり、ベースソロ、ドラムソロも含めそういうシーンがなかったのはロックファン、トライセラファンとしてはやや物足りないところはありましたが、ライブ自体はアルバムが会心作となったこともあり、お客さんのノリも最高でした。

とにかく、来たとき以上に帰るときに元気になれるのがトライセラのライブですが、それはやはりロックの普遍性を体現しているからだと思います。
(2010.12.1 SHIBUYA-AX)

2010/12/01

やつらの足音に耳を澄ませ!~blues.the-butcher-590213 presents "ROOTS"

それほど飲んでもいなかったのに、不覚にも涙してしまいました。

日本屈指のオーセンティック・ブルースバンド「blues.the-butcher-590213」の主催する「ROOTS」というライブイベントに行ってきました。その名の通り音楽的ルーツをテーマにそれぞれのミュージシャンがライブを行う、というものです。

端はムッシュかまやつ。エレキ1本のソロで「やつらの足音のバラード」を歌い始めました。アニメ「はじめ人間ギャートルズ」のエンディング曲です。最初はただ「懐かしいなあ」と思って聴いていたのですが、そのうち歌詞が心に染みわたってきました。

♪何にもない 何にもない まったく何にもない
生まれた 生まれた 何が生まれた
星がひとつ 暗い宇宙に 生まれた

そう、ムッシュは地球の誕生にまで「ROOTS」をさかのぼっていったのです。
聴きながら、僕らの音楽が、たどりたどれば人間の歴史そして宇宙の歴史にルーツを持つんだ、という思いが、あの優しく懐かしいメロディーとともに広がっていきました。

家に帰ってから、改めてじっくり聴きました。
地球の誕生から、マンモスを追ってやってくる「やつら」(おそらく、大陸から地続きだった時代に獲物を追ってやってきた原初の日本人のルーツをイメージしているのだと思います)まで、しみじみと絵が浮かびます。
作詞は漫画原作者の園山俊二氏ですが、自然と人間の歴史に対するふかーい敬愛があったのだと、初めて気づかされました。印象的な歌詞と柔らかいメロディーで子どもの頃から好きだった曲ですが、大好きになりました。


さて、そんな感じで1曲目からいきなり心臓をアイアンクローされたライブは、休憩込みの5時間弱!という超長丁場にも関わらず、最後までアドレナリン全開で楽しめました。

blue.the-butcher-590213は、「ブッチャー」というニックネームを持ち、最も多くのギタリストに愛されながら3年前に若くして世を去ったギタリスト、浅野祥之氏の死をきっかけに結成されたブルースバンドです。
僕は、沼澤尚がドラムを担当するJ&Bというバンドで彼を知りました。J&Bのライブはいつもチケット争奪戦で、まだかまだかと次のライブを待っていたときに、浅野氏が肺炎の悪化で亡くなったという訃報を聞いて、ただただあの音楽が聴けなくなる寂しさを募らせたものでした。


この日のライブアクトは、他にLeyonaIll(DJで参加)、田中和将(Grapevine)、奥田民生の4人。
トリを「blues.the-butcher with 奥田民生」で務めた後、全員のSpecial Sessionで幕を閉じました。

ちなみに舞台は横浜。日本の「西洋化」(という言い方は少々乱暴ですが)の玄関口となった地です。この異国情緒も、海の向こうのルーツを感じさせるものでした。
ついでに中華街で大陸系?ルーツの味も堪能しました(^_^)v
(2010.11.28 横浜Bay Hall)





2010/11/30

立ち返る場所〜日本音楽集団定期演奏会〜

日本音楽集団の定期演奏会を見に行きました。
「和楽器オーケストラ」「現代邦楽」などと呼ばれるジャンルですが、例えば現代の作曲家が交響曲を書いても「現代音楽」とは呼ばれません。日本の楽器と西洋の楽器では、その「生育歴」が違うので、呼び方も変わってくるのでしょうが、やってることはいわゆる「現代音楽」というよりは、伝統楽器を使った中~大編成の「合奏」であって、「現代音楽」のアバンギャルドさとは一線を画した親しみやすいものだと思っています。ぜひ、多くの方に聞いていただきたい音楽です。

打楽器(太鼓ではなく「鳴り物」)だけを集めた池辺晋一郎氏の曲、現代詩の朗読に音楽をあてたもの、音楽集団発足間もない頃の挑戦と試行錯誤の曲など、バラエティに富んだコンサートでしたが、終演後の打ち上げで話したことが印象に残りました。

今回はクラシック系の指揮者が客演されたのですが、その振り方はやはりクラシックばりにシビアでタイトだったそうです。
同じオーケストラでも、西洋では「クラシック」=古典ですが、邦楽オーケストラは古典ではありません。
そういうものと対峙し取っ組み合うなかで、「古典という〝たち帰る場所〟があるから、僕らはやっていられる」と僕の師匠が仰っていました。

古典というのは、音楽なら音楽、楽器なら楽器の発祥と一体のものです。その音楽が、その楽器がなぜ生まれたのか、そこにある時代との対峙にこそ、古典の神髄があり、古典の古典たる所以があります。「古音楽」「古文書」ではなく「典」、つまり手本でありよりどころ、我々にとってのたたかいの手引き、ということだと思います。これは学問・文化に共通するもので、音楽に限った話ではありません。

太鼓打ちにとっては、能や歌舞伎の音楽、各地の民俗芸能が「古典」だし、古典というのは出てきた「結論」だけを学んでも何の意味もないもので、その「過程」に流れる〝人間の血〟を学ばなければならないのだと思います。

(2010.11.17 第一生命ホール)

2010/11/18

ツェッペリン・スイッチ ON!

昨日、「ツェッペリン・スイッチ」が入った。

「ツェッペリン・スイッチ」というのは、僕の脳の中のどこかにあって、一度ONになるとレッド・ツェッペリンしか聴かなくなり、なかなかOFFにならないスイッチのことだ。

ツェッペリンの音楽には、そんな「毒性」がある。
例えばビートルズなんかは、大好きだしよく聴くけど、いつでも聴けて、いつでも他の音楽に気移りできる気楽さがある。だけどなぜだかツェッペリンは、普段なかなか聴かないのに、一度聴きはじめるとともう離してくれない力がある。

なぜなのか? それは深く考えないことにしている(笑)。

今回スイッチが入ってしまったのは、「ドラムマガジン」12月号で、〝ボンゾ〟ことジョン・ボーナムの大特集をやっていたからだ。
ボンゾのドラミングからは、多くのことを学んだ。ドラマーじゃないので難しいことはわからないが、サウンドメイク、ダイナミクス、タメとツッコミ、それらを土台にした独特のグルーヴ、そして何より曲と歌のコンセプトに沿った、あるいはコンセプト自体を先導するドラムの役割・・・。不世出・最高峰のドラマーであったことは間違いない。
ドラムマガジンの特集では、ボンゾのドラミングの「音鳴り」にひとつの照準をあてた記事を書いている。和太鼓にも通じることなので、興味のある人はぜひ読んでみてほしい。

ボンゾのドラミングが好きなのは、もちろんレッド・ツェッペリンの音楽自体が大好きだった、ということが最大の要因だけど、「その音楽がなぜ好きなのか」を探求してみると、そこに音楽的特質を見つけることができる、というのも、ツェッペリンを聴いていて発見したことだ。

以前、The J.B.'fで「ゴールドコンサート」に出演したときに、スタッフの学生に「LED ZEPPELIN」のロゴ入りバッグを見つけられ、

「好きなんですか?」

と聞かれたことがあった。

「なんか〝ツェッペリン・スイッチ〟が頭の中にあるんだよねー」

と言ったら、

「僕もあります!」

と即答された。

「スイッチ」という言葉だけで説明もいらなかったのが嬉しかった。

去年、ニューヨークに行ったときも、このバッグをみて、カルネ申請の窓口にいた空港のおっちゃんが声をかけてくれた。

「Drummer?」

最初はなぜそう聴かれたのかわからなかったが、そのおっちゃんは僕のバッグを指さした。

「Yes ! I'm Japanese Drummer !」

この出来事があったおかげで、はじめての自力海外でも少しホッとしたのを覚えている。



僕の頭の中にスイッチがある、と自覚しているのは、Zepの他にはジミヘンだけだ。

それがなぜだかわからないが、ただ、こう書いてみて気がついたのは、ツェッペリンもジミヘンも、「今を生きるスリリングさ」を音にしている、という点で共通している、ということだ。それはライヴだろうがスタジオレコーディングだろうが、変わらず貫かれている。
一人の人間としてみれば、彼らの音楽はやはり彼ら自身にとってのカタルシスだったのかも知れない。それが僕の心をとらえるのだろうか・・・。


ボンゾの死に様もジミヘンの死に様も、僕は少しも肯定するつもりはない。ある意味では、時代に負けたのだ。だけどその終わり方に、やってきたことの運命的な帰結を見てしまうのもまた、事実だ。多分、多くのツェッペリンファン、ジミヘンファンは同じように感じていることだろう。

さて、毎年恒例の年末ライブラッシュを控え、予習をしなきゃなんないのに、「スイッチ」は入ってしまった。

いつ、スイッチはOFFになってくれるだろう・・・。


2010/11/16

友人たちのフライト

The J.B.'fのメンバーであり、プロ和太鼓奏者の片岡亮太が来年から1年、「障害学」の研究と音楽修行のため、アメリカ・ニューヨークに留学します。

現在、1カ月弱の「準備留学」に行っていますが、彼のブログにその様子がアップされています。
また、太鼓衆・仙の元メンバーでこれもアメリカに留学中のマサが、その応援の様子その他いろいろを、「Taikonnection」というブログに認めています。

どちらもぜひ読んでいただきたい内容です。足をお運びくださいませ。

片岡亮太 めざせ!!ファンキーグルーヴ

TAIKOnnection

迸るマグマ 三上ちさこ

いやー、行っといてよかった。

金も時間も限られてるなか、ワンマンでもないし、ICOCAやめよか迷っていましたが、行ってよかった、というより、行くのやめなくてよかった、という感じのライブでした。

バンドでやっていたfra-foa時代は欠かさずライブに足を運びましたが、彼女がソロになり故郷の仙台に拠を移してからは、都内ライブにはスケジュールがあわずずっと行けていませんでした。

何年か振りに彼女の歌を聴き、あのマグマのようなエネルギーは健在、というか、4人一組というバンド時代より、一アーティストとして裸になった彼女のパワーと独特のエキセントリックさ、「恐ろしさ」ともいえるほどの圧倒的な破壊力がいっそう剥き出しになっていました。

歌とサウンドの根底に流れる、生きることへの絶望と渇望という矛盾が生み出す巨大なエネルギー。

一つのものごとの相反する両側面を捉えることは、その本質をつかむ重要な観点の一つですが、彼女の詞やインタビューなどを見ていると、彼女はものごとの矛盾を捉えることに関し、実に卓越したものがあります。

生きることの矛盾、というより「生きていくこと」の矛盾、ロックのモチベーションそのものですが、それを歌とサウンド、そしてステージングにまで一貫させて昇華させることができる、稀有なアーティストだと思います。

(2010.11.12 渋谷チェルシーホテル)


2010/11/12

またたびをする


響の栃木公演がありました。
いつものコンサートより楽しい気がしたのは、「演奏旅行」だったからだと思います。
響では、ここ数年連続して「演奏旅行」をやってます。
2007年 韓国
2008年 スイス
2009年 ニューヨーク
と過去3年は海外でしたが、今年は代表である玉ちゃんの故郷への凱旋公演。

翌日にはデイケアセンターにもお邪魔して演奏させていただいたので、ツアー気分です。
集客はほとんど玉ちゃんに任せきりだったこともあり、(首都圏からの応援団の皆さんを除いて)お客さんはまったく見知らぬ顔。響そのものとその演奏だけが、舞台と客席をつなぐものでした。

知らぬどうしでも、芸能を通じてつながり心が通い合うんだ、ということが実感できるから、演奏旅行は楽しいのかも知れません。

土地柄もあるのでしょうか? お客さんたち(玉ちゃん世代がそれ以上が圧倒的に見えましたが)がとても喜んでくれて、ドタバタリハの不安を吹き飛ばしてもらったのも、気兼ねなく楽しめた要因だと思います。

さあ、次はどこかな?(笑)

ISBN : B00005G7A6)

2010/11/05

クリスマス?

帰路、駅前のモールを通ったら、もうクリスマスソングが鳴っていた。

いくら季節の先取りはマーケティングの基本とはいえ、日本の四季のなかで最も美しく哀愁を誘う季節感が台無し。

そんなに急いでどうすんだよー。もっとゆっくりのんびり生きようよー。
(もう冬ですね、って書いたばかりだけど(^^;)

2010/11/04

浅草寺本堂


2カ月ぶりに浅草に足を運んだら、浅草寺の本堂の改修工事がほぼ終わっていました。
ずいぶん前に前のブログに夜中に改修作業をする職人さんの写真を載っけたのを思い出したので、
この写真を載せました。

来年の三社は本堂復活ですね。

帰り道、今秋はじめてオリオン座をそれと見ました。
短い秋は終わりそうで、もう冬ですね。

2010/11/01

続・音楽恐慌?

ローソンが目を付けたのは、音楽的なこだわりが強いと言われるHMVの会員400万人だそうです。比較的購買意欲の高い層をターゲットに、エンタメ関係の需要を掘り起こそう、ということでしょう。

もとより買収そのものを否定するつもりはないし(そもそも株主じゃないし)、がんばっては欲しいと思います。

さて、ヒッキーは引退説まで出てきているようですが、ぜひ再起してほしいものですね。
以前、Mr.Childrenの活動休止を予見し、それが的中したことがありました。アルバム『ボレロ』が出たときに、〝こんな歌、歌い続けられるはずがない〟と思ったからですが、まああのアルバムを聴けば誰でもそう思うかも知れません。

桜井和寿の場合、社会の不条理を歌いながら、批判してきた資本主義のシステムのおかげで自分は成功を収め栄光を手にするという矛盾に突き当たったこと、とくに彼は世の矛盾を自己の内側に見出だし、身を削って歌っていたので、言ってみれば先鋭的な表現者としての感受性がブレイクダウンしてしまった、ということだったと思います。

しかしヒッキーの場合は、プライベートな事情もあるにせよ、芸術家として必要な「人間性の再生産」、僕はよく「心の新陳代謝」と言いますが、それが出来なくなったことによるものです。さまざまな事情から「心の栄養」を取ることが出来なくなり、このままでは「残りカス」のような曲しか書けなくなる、と思ったのでしょう。

職業音楽家としてはそれでも休まず続けるべきなのかも知れませんが、もはや限界に達した業界の在り方に、〝賞味期限の内に搾り取られるだけの使い捨てになってたまるか〟と、バッシンクを恐れず一石を投じた彼女の姿勢を、僕は支持します。

いずれにしても、「人間的なものの再生産」が、つくる側でも聴く側でも行われず、それを前提に業界が利益を上げる仕組み作りに躍起になっている現状は負のスパイラルです。ヒッキーの決断がこの螺旋を断ち切ることにつながることを願って止みません。

僕らにとっては、音楽をファッションやスタイルとして「消費する」聴き方だけでなく、一つひとつの作品をアーティストの分身として大切にすることに、もっともっと頓着する必要があるのでは、と感じます。

2010/10/30

全国CDショップ店員組合

先日の記事を書くために、インターネットでいろいろ調べていたら、「全国CDショップ店員組合」なるものがあることを知りました。

CDが売れない時代に、音楽カルチャーの発信源としてのショップ・ショップ店員の存在を輝かせるためにがんばろう、ということのようです。全国のショップ紹介連載(まだ第1回ですが)などもあり、面白いサイトです。

ぜひ立ち寄ってみてください。

http://www.cdshop-kumiai.jp/

です。

2010/10/29

音楽恐慌?

昨日、HMVジャパンがローソンに買収される、というニュースがありました。

HMV渋谷の目と鼻の先にあったタワレコは、すでにセブンアンドアイHDが筆頭のドコモに次ぐ大株主になっています。もちろん、コンビニとCDショップが一体化する、というわけではないでしょうが、何やら音楽業界の運命、というか命運を象徴しているような気がしてなりません。

コンビニ経営の鉄則は「売れるものだけ置く」ということです。「この銘柄はあまり売れないけど好きな人がいるから置いとこうか」みたいなことはないですよね。
逆に、「売れるものを置く」のではなく「売りたいものを置く」・・・そんな音楽カルチャーの発信源の一つになっていったCDショップの象徴がHMV渋谷店でした。僕はあまり聴きませんが、いわゆる「渋谷系」なんてのがそうです。

曽我部恵一というミュージシャンが、「今はもうそんなことが許される時代ではなくなった」と話していました。消費不況の時代、資本の集中を余儀なくされたレコード会社も販売店も、株価を上げることがほぼ唯一の評価基準になり、確実に利益をあげることが最優先にされ、つまり「確実に売れるものを置く」ことを強制され、店としての個性が置き去りにされた、というわけです。まさにコンビニです。

先日、メーカーにとってはドル箱もドル箱の宇多田ヒカルが「人間活動に専念するため」と無期限休養宣言をしました。
15歳で文字通り鮮烈なデビューを果たし、数々の売り上げ記録を塗り替えたトップアーティストが「人間活動」のために音楽生産を封印する…音楽は人間的なものじゃなかったの? という疑問を多くの人が感じた出来事でした。

これはいわば生産の破壊。
流通に生産が呑み込まれ、やがては生産そのものが破壊されていく…これは一種の恐慌ではないでしょうか?

結局、音楽生産の崩壊の裏には、「芸術と人間性の乖離」がある、ということなのでしょうか?
(つづく)

ニシエヒガシエ



縁あって、松戸の太鼓チームのお手伝いをさせていただくことになりました。

僕の師匠・仙堂新太郎氏の太鼓教室に通っていたときアシスタントをしていた藤野佳代ちゃんが指導していたところで、彼女が日本を離れることになり、お鉢(?)がまわってきたわけです。

彼女の卓越した指導と人間的魅力に集うチームに対して、僕に如何ほどのことができるかわかりませんが、多くの人に太鼓を親しんでもらいたい、という情熱と足跡を少しでも受け継いでいきたいと思います。

というのは、件のチームはいわゆる「ママさんチーム」で、子育てをしながら太鼓ができるように、と立ち上げた経緯がある、と伺ったからです。
僕が職業演奏家の道を選択しなかった理由の一つは、文化・芸術はみんなのもの、むしろ市井に生きる多くの人間が担ってこそほんとうの力を発揮する、という強い信念を持っているからですが(信念があるというよりも、それを阻むものが多すぎる、という気持ちですが)、まさにそれを地で行く活動をやっておられるので、お手伝いできるならありがたい、と思った次第です。

先日、そのチームや界隈のチーム、佳代ちゃん、「北の国から」のギターで知られる坂元昭二さん、おなじみ松尾慧さんなど、プロ演奏家も招いた音楽会があり、友情出演をさせてもらいました。子どもたちもガヤガヤとくつろぎながら(?)楽しむ、お祭りチックな雰囲気が心地よいものでした。

これで僕の活動範囲も一都三県に。どうも絶妙なところに住んでいるようです(笑)。

2010/10/27

素材で勝負! The Verbs



(ライブレポ 2010.10.26 SHIBUYA-AX)

奥田民生が正メンバーとして加入したThe Verbsの二度目の来日公演です。
3月にSteve Gaddを見たので、今年は「世界のW-Steve」を見たことになります。

前のブログが消えちゃったので再録?しますが、ドラムのSteve Jordanは、「8ビートを演奏するために生まれた人」というより、「8ビートはこの人のために生まれた」と言ってもいいくらいで、今回のライブでもその神様ビートは健在でした。

2度目のツアーということもあり、適度にダラけた(民生のギターはちょっと各曲の出だしが雑でしたが)大人のロックを、バンドも観客も堪能していた感じです。「技より腕」で、「曲より音」で、料理で言うなら「素材で勝負!」なライブでした。

説得力あるハイハットで引き締めながら、胴の音、生音の響きを重視したドラミングと民生の酒くさーいギターリフ、ennuiなミーガンの歌、それらすべてを一本に結びつけ、低空飛行のグルーヴにまとめ上げるピノのベース・・・8ビート大好きな僕にとっては至福の時でした。

派手な曲はなかったので燃焼しきらなかった部分もありますが、くすぶった木杭を胸にしまって日常に復帰するのもまた、乙なものです。

そうそう、ミーガンが民生を「Mr. Rock'n Roll !」と紹介していました。だよね!



2010/10/26

出会い系?



少し前になりますが、HMVの旗艦店であった渋谷店が閉店しました。

以前渋谷につとめていたことがあり、「HMV派」(近くにタワレコもある)を自負していた僕は、新品CDはHMVで買う、と決めていたのでよく足を運びました。

この店でかかっている曲を聴いて、お気に入りになったアーティストはたくさんいます。
いま思い出すだけでも、Boom Boom Satellites,Asian Dub Foundation, SUM41,Fireballなどなど・・・。
僕にとっては大事な出会いの場でした。

なくなってみて思うのは、音楽・芸術は「出会い」だなあ、ということ。作品が人格の投影であれば、当然かも知れません。
偶然の積み重ねでたまたま聴いた曲、知り合ったアーティスト・・・運命の歯車が一つ違えば、一生出会うことはなかったかも知れないし、つまりは今とは違う自分になっていたのでしょう。

「音楽不況」と言われて久しいですが、インターネットも含めて音楽が売れなくなっているようで、店舗型販売の黄昏は店舗だけの問題ではないようです。

大量消費型の音楽生産が作品から創造性を奪って質を貶め、めぐりめぐって売れなくなってきているのだとしたら、何とも悲しい限りです。

2010/07/16

ブログ開設(再開)のご挨拶

ながらく休止していた「しんのすけ録」ですが、Googleのサービスに移行し再開しました。
@nifty解約の際に勢い余ってブログまで解約してしまい、貴重なライブレポ(セットリスト)が全滅。
気を取り直して書いていきますので、適当におつきあいください。