2011/11/10

1月22日 スタジオライブ決定!


The J.B.'f の久しぶりのライブ、昼の部の追加ゲストが決まりました!

The J.B.'f with Eva Kestner presents
「JB謝肉祭2012」


2012年1月22日(日)
 昼祭 14時開演(13:30開場)Sold Out! Thanks!
 夜祭 17時開演(16:30開場)
Taiko.Lab浅草にて


出演:
The J.B.'f
Eva Kestner

ゲスト昼:古里祐一郎 宮迫葵 藤野佳代new!
ゲスト夜:的場凛 齋藤真文(from アラゲホンジ and more...


チケット:一般2,500円/子ども・学生・障害者1,500円


チケットお申し込み・お問い合わせは
ticket-jbf☆hibiki-kawasaki.jp
※☆を@に変えて送信してください。


昼祭と夜祭で内容は大きく変わります。
楽しいライブにしたいと思います。よろしくお願いします。

2011/11/01

田楽座川崎公演決定!

僕の幼なじみが座長を務め、川崎太鼓仲間・響出身の座員も要する信州伊那谷「歌舞劇団・田楽座」の3度目の川崎公演が決まりました。

和太鼓が好きな方、日本の民俗芸能が好きな方、お祭りの好きな方、舞台芸能の好きな方、元気が欲しい方すべてにおすすめします。かの永六輔氏の折り紙付き、知る人ぞ知るプロ集団です。

 【公演概要】
 ・日時:2012年2月26日 開場 15:30/開演 16:00/終演 17:45(予定)
 ・場所:エポックなかはら ホール (JR武蔵中原駅徒歩1分) [地図]
・作品:『万歳楽』
・チケット:[1F指定席] S席:3500円,A席:3000円
       [2F自由席] 大人:2500円,子ども(高校生以下)・障害者:1500円
・主催:田楽座川崎公演実行委員会 でんでん

チケットは11月中旬発売開始予定。

2011/09/30

未来型お祭りロックバンド“アラゲホンジ” アルバム注文開始!

激ヤバお祭りロックバンド、アラゲホンジのファーストアルバムがオフィシャルHPから購入できるようになりました。 まだ聴いたことない人、ぜひぜひ聴いてみてください。そして歌って踊って楽しんでください!

2011/08/03

7月の...


気が付けば8月になってました。
7月の出来事をまとめて。いろいろありました。

初体験
まず、「手術」と「整骨院」を初体験しました。
手術といっても傷口の縫合だけですが、徹夜明けの歩行中に眠気に襲われ転倒、唇を切りました。
この日はたいしたことないと思って太鼓の練習→阿波踊りの練習→ライブ観戦とフルコース。帰宅してよく見るとどえらいことになっていたので、翌朝一番で病院に行った次第です。

整骨院の方は、寝違えた痛みがひどくなり、整骨院で見てもらうと、脊椎の神経が圧迫されて痛みやしびれがでているとのこと。1週間ほど揉み治療に通いました。

もう無理が利かない歳になっていることを自覚しろ、と言われた気分です。


ライブいろいろ
相変わらずライブには足を運んでいますが、7月は重要なのがいくつもありました。

7月3日 田楽座in中野市
川崎太鼓仲間・響を卒業し、昨年プロになった尾上綾菜の一般公演(ホール公演)デビューを見に長野県まで足を運びました。
僕と同様「演技」のできないタイプだった彼女が、演奏はもちろん、立ち居振る舞いの所作まで、見事にプロになっていました。
公演が始まった瞬間は少し目が潤んだのですが、すぐに一観客の気分になり、公演を楽しみました。
彼女のがんばりと同時に、座員を育てる田楽座の力にあらためて感じ入りました。

7月9日 古立ケンジ「Terra rossa marre blu ~赤い大地 青い海~」
名古屋のGONNAから独立し、上京してソロ活動を続けているケンちゃんのリーダーライブでした。GONNA立ち上げの頃からの交遊もあり、響の若者たちを連れてスタッフ兼観客で楽しみました。
いまの和太鼓業界にありがちな、力と勢い、様式美だけにまかせる演奏ではなく、音の響き、重なり、紡ぎ出されるリズムとグルーヴなど、和太鼓の多面的な魅力をとことん楽しもうというライブで、先輩格の奏者たちが盤石のバッキングを務めるなか、プレイヤーと楽曲の魅力が全面に出た演奏になっていました。

7月10日 EGO-WRAPPIN'
日比谷野音でのエゴ。都心のオアシスで夕空の下、という最高のシチュエーション。唇は負傷して缶ビールが飲めないのが心残りでしたが、久々の野外ライブを堪能しました。

7月14日 日本音楽集団定期演奏会
元祭衆の山内利一くんが先年入団し、本格参加後初となる東京での定期演奏会でした。江戸囃子と黒御簾音楽を融合させた「祭」や三木稔氏の「マリンバ・スピリチュアル」など、やThe J.B.'fで取り組んでいる曲をやるということで、仙メンバーも大挙して見に行きました。コンサートもよかったですが、代表の田村氏が新入団メンバーを紹介し、意識的に世代交代をすすめようとする姿に共感を覚えました。

7月18日 アラゲホンジ1stアルバムリリースパーティ
これはもう気持ちを伝える言葉が見つかりません。アルバム聞いてください、ライブ見てください、というのみですが、相馬盆唄などアルバム未収録の曲や、ライブでの初演奏となる「秋田音頭」など、リリパならではのステージをたっぷり楽しみました。

復興を目指して
響の代表が太鼓仲間に呼びかけて結成した「和太鼓でつながろう!震災復興をめざす実行委員会」の取り組みとして、7月いっぱいで避難先の川崎・とどろきアリーナからの退去を余儀なくされた南相馬市の方々を励まそうと、16日に太鼓演奏と盆踊りを企画しました。
復興と生活再建に向けた前途はいまだに厳しいものがあり、太鼓を叩くだけで何かがやれたというわけではありませんでしたが、太鼓や踊りをやっていなければ南相馬の方々とのつながりもなかったことを考えると、音楽や踊りにはやはり人と人を結びつける力があるのだなあ、と再認識しました。これからもっともっと知恵を絞って、何が出来るか、何をやるべきか、考えていきたいと思います。


あとは脱原発の集会で演奏したり、マーラーの映画を見たり、夏本番が近づく阿波踊りの稽古に励んだりといろいろあった7月でした。そしていろんなことを考えました。がんばります。

2011/06/28

でっかくなったぜチャットモンチー


ネタバレ注意です。

自分たちのやりたいことが大好きで、自信を持っているのがよくわかるライブでした。
今回のアルバム『YOU MORE』は初のセルフプロデュースで、とにかく難しいことを考えず楽しくやろう、というのがコンセプトだったようです。ライブでも語っていましたが、「こうでなきゃいけない」「こうしてやろう」というような、ヒットメーカーなればこそのくびきと重圧から解放されて、欲求の赴くままに雑多な音を鳴らした、という観が確かにあります。ベースの福岡晃子も「聴いて感じたままのアルバムです。それ以上の意味はない」と断言していました。

そしてそれは、ライブを通じて初めて完成したというか、本来の命を吹き込まれたのではないでしょうか。アルバムは一聴して肩の力が抜ける印象で、これまでの「狙い目」路線からすると物足りなさを感じなくもありませんが、実際にライブで聴いてみると、「優しさ」「強さ」「情熱」「切なさ」といった彼女たちの持ち味を巧みに楽曲の血肉にした上で、伸びやかにそれを演奏をしている印象がありました。要するにアルバムで聴くより何倍もいい曲に聞こえた、ということです(笑)

もちろん、見るたびにパワーアップしている彼女たちの演奏力がそれを可能にしているのは言うまでもないことです。

圧巻だったのは本編最後の「余韻」。
終盤にかけひたすら同じフレーズを繰り返す「チャット節」を全開にし、そして怒濤のアウトロへ。これまで見られかかった極太のエネルギーがポップロックの枠を打ち破り、観客はあっけにとられて微動だにできない状態でした。

「余韻を楽しんでください」という橋本のマエ説ではじまったこの曲が終わったとき、果たしてアンコールの拍手をしていいものかどうか、ビミョーな空気観が客席を覆っていました。

ここまでやるなら、いっそはじめに「アンコールなし!」と宣言してやればよかったですね。
外タレ以外でアンコール無し、というのは慣れてないでしょうから、半ば儀礼的にコールしてしまうのもやむを得ないですし。

そういえば昔とある超大物バンドの幻の解散ライブ(解散するはずだったライブ)で「アンコール無し!全14曲!死ぬ気で行くぞ!」と吠えてからはじまったことがありました。

ま、その分アンコールは文字通り「おまけ」的位置づけで気楽に楽しめましたが。

セットリストは以下です。
カップリングベスト発売時のライブを逃し、二度と聴けないだろうと思っていた「バスロマンス」が聴けたのは僕にとってはうれしいサプライズでした。この曲をすすめられて、チャットモンチーをちゃんと聴くようになったので。

あ、「謹賀新年」で和太鼓使ってました(^_^)v

<セットリスト>
01.桜前線
02.レディナビゲーション
03.少年のジャンプ
04.シャングリラ
05.謹賀新年
06.バースデーケーキの上を歩いて帰った
07.草原に立つ二本の木のように
08.青春の一番札所
09.Boyfriend
10.バスロマンス
11.涙の行方
12.染まるよ
13.真夜中遊園地
14.Last Love Letter
15.拳銃
16.余韻

E1.ここだけの話
E2.風吹けば恋
E3.ハナノユメ

(2011.6.22 中野サンプラザ)

2011/06/22

さらば祭衆


僕が学生時代、アルバイトでトラをやっていたプロ集団「祭衆」の無期限活動停止によるラストライブがありました(学生時代、といっても予備校にも入らず太鼓ばっかりやってた浪人生だったので、学生と呼べるかどうかはわかりませんが(笑))。

この日はたまたま中国地方への出張帰りだったので、平日でしたが京都での公演を見ることができました。現メンバーは中嶋真、山内利一、馬渕さおり、松尾慧の4名。これに、元メンバーで現在も各方面で演奏活動をしている中条きのこ、川原崎能弘、小林辰哉、川田貞一、滝本ひろ子、由良英寛の6名をゲストに招いて、総勢10名での演奏。表方裏方で、現役を退いた元メンバーも手伝っていました。

思えば発足から25年。初期にお手伝いをさせてもらったのですが、その後同期の能弘が中心的プレイヤーとなり、共通の師匠である仙堂新太郎氏、そして音楽監督的な役割でメンバーとして音楽性の土台を作り上げていった小林潤ちゃん、山内利一くん、新たなグルーヴを吹き込んだ英くん、さおりちゃん、天上人のような慧さんの笛、余人には出せないまこっちゃんの大太鼓サウンド・・・和太鼓音楽の目指す方向は一つではありませんが、「祭衆」はその1角の頂点にこの25年で立ち至ったように思います。

僕自身は、素人に毛が生えた程度のころに手伝っていただけなので、とくに影響を与えるような存在ではありませんでしたが、その後座長となる能弘を引っ張り込んだことと、当時まだ鼓童しかやっていなかった「担ぎ桶」なるものを見よう見まねでやってみて、「できそうだからやってみよう」と能弘に声をかけたのは、功績かな(笑)。ちょうと20年前の話です。

この日の演奏は、気心が知れていつつも普段合わせていないゲストのメンバーを多数迎えて、ということだったので、若干手合わせ不足な印象もところどころありましたが、それを軽く凌駕する過去最高の演奏を見せてくれました。

それだけに、無期限活動停止する理由が僕ら客から見ればわかりません。
が、あくまで当人たちの決めることなので、それぞれの今後を応援していこうと思います。
(2011.6.3 京都府立文化芸術会館)

2011/06/21

シフコビッチ来日!



この間いくつかライブを見ましたが、そのなかからいくつか感想を。

まずN.J.シフコビッチの来日公演から。
ワークショップを見たことはありますが、コンサートとしての演奏を見るのは初めてでした。
仙堂新太郎師匠の知人である上野信一さんの公演にゲスト的位置づけで参加し、全編シフコビッチ作品の中、何曲か(「リズムの神々への祈り」「ストラー」「ラメント・エ・ダンツァ・バルバラ」他)を自ら演奏しました。

日本が昔から好きだったらしく、震災の困難のなか「絶対に来日する」という固い決意で来て頂いたようです。
洋楽打楽器の世界はよくわからないのですが、とにかく野性の固まりのような人でした。

GONNAが和太鼓で演奏しているラメント~」も演奏されましたが、洋楽打楽器の世界観はこういうものかー、という気がしました。なるほどそういう意味では、原曲の世界観を表現できているので、原曲らしさに触れられた機会でした。
和太鼓での表現は、作者の意図とは別のところで、より深いというか、古の世界観を呼び覚ますものになってます。楽曲に新しい命を吹き込んだ、ということでしょうか。

もちろんGONNAという水準の高い演奏だから出来る面もあるのでしょうが、僕らもトリオ・パ・ウノを演奏しているので、そういった世界観を探求していきたいと思います。

MCでシフコビッチ氏は、日本への多大な感謝を繰り返し表明していました。(だから日本がたいへんな時に来日して演奏したいのだ、とも)
氏、日本の大使館・領事館・外交官が、文化交流や教育支援のためにいろんな国でがんばっているのを見てきたからだ、といいます。「ユーゴは内戦時に外国=NATOによけいなことされたけど…」みたいなニュアンスの話と比較していました。
仙堂師匠に以前聞いたところによると、外交官の人たちは、文化交流のお粗末な予算をカバーするためにポケットマネーでいろいろと骨を折っておられるようです。国(政府)としてはあまり褒められたモンではないですが、そうした取り組みが喜ばれているのはありがたいことです。

(2011.6.1. 国立オリンピック記念青少年総合センター小ホール)
編集済み

2011/05/16

まさかのPUFFY15年


PUFFYの15周年ライブに行ってきました。

もともとニューカマーをこまめにチェックする方ではなく、だいたいブレイク直前くらいに聞き始めたアーティストが多いのですが(例えばBump of Chickenとか)、PUFFYは奥田民生プロデュースということもあり、デビュー当初から追いかけていました。

しかしライブにはいかず、初めていったのは10周年をすぎてから。曲もいいし歌も気持ちいいけど、「バンド音楽」という受け止めでもなく、歌唱力を売りにするわけでもなかったので、CD聞くだけで満足していました。
10周年のときに「1度くらい見ておいた方がいいな」と思ってチケットをとったのが最初で、そのときは都合で結局行けず、3年前くらいに行ったのが最初でした。

予想以上のすばらしいライブに、その後はほぼ毎回足を運び、今回で(ワンマンは)3回目。本人たちもMCで「まさか15年も続くとは、自分たちも思っていなかった」と話していましたが、僕ら聞き手も含め、偽らざる思いでしょう。

もちろん、「使い捨てにさせない」という奥田民生や周りのスタッフの意向があったのは確かなのですが、いくら制作陣・スタッフ・会社が有能でも、本人たちの努力と力量がなければ、15年は続かなかったはず。

ポップロックの優れた楽曲を自然体で歌いこなす力、アミ+ユミのユニゾンの不思議なヴァイブ(あのユニゾンはちょっと他人に真似できないレベルだと思います)、そして自分たちの立ち位置を理解し努力を怠らない姿勢が、作り手も含めロックファンに愛されてやまない「PUFFY」というポップロック・ブランドを作り上げた、とっても過言ではないと思います。

そしてライブはとにかく楽しい!の一言。この時間と空間を衒いなく、気負いなく楽しもうという思いにステージも客席も充ち満ちていて、一つのライブの理想型と言えるかもしれません。

アイドル路線だけでなく、「実力派」路線でも「即換金主義」みたいに利用されその後泣かず飛ばずのアーティストにあふれる音楽業界に、一石を投げ続けて15年。「自然体」「脱力感」が彼女たちを語る冠言葉とされながら、いつのまにかライブ巧者になり、いまや押しも押されもしない地位を確立した存在になりました。いよいよアラフォー世代となり、この後5年10年と、どんな姿を見せてくれるのでしょうか。

期待と同時に、困難さもあろう前途を思うと、やはり応援したい、という気持ちが強いです。

そうそう、震災が発生しツアーの是非を検討した結果、セットリストを変えて臨もう、ということになったそうですが、アンコールのラストはチバユウスケの「誰かが」でした。染みました。
(2011.5.14 日比谷野外音楽堂)

2011/05/06

無欲の欲


連休中、2つの高校部活動のコンサートを見に行きました。
鶴見総合高校和太鼓部と都立東大和高校吹奏楽部で、いずれも3月中の公演予定が震災の影響でGWに延期されていたものです。

どちらも太鼓でつながりのあるメンバーがいる関係で足を運んだのですが、共通して感じたことがありました。

それは、男子部員が2人しかいないこと・・・は(重大ですが)おいといて(笑)、「無欲に」音楽を楽しんでいたことです。

自己表現・自分を見せる、ということはもちろん大切で、それを否定する意味ではありませんが、ブラスバンドのように作曲家が書いた曲をアンサンブルで演奏するとき、昔からの祭囃子や古典音楽を演奏するとき、「己を見せたい」という欲が先に立つと、見えるものも見えなくなるのです。

というよりも、僕自身も、秩父屋台囃子などの伝統的なお囃子、あるいは能や歌舞伎の古典音楽などに触れるようになって、だんだん己を捨てることができ、そこで初めて、一端かも知れませんが真髄に触れるというか、長ーく受け継がれてきたもの“そのもの”に触れられた気がするのです。

当世、高校生が純真無垢だというのは幻想かも知れませんが、少なくとも今回見た高校生たち、彼らの若さ、まじめさ、ひたむきさが、欲に邪魔をさせず曲そのものを楽しみ、そのことで曲そのものが持つ価値を知ることを可能にしたのではないか、と思います。指導者の見識と力量に因るところも大きかったのでしょう。

もう一つ、彼らが無欲になれたのは、やはり震災の影響があったのだと思います。
仲間がいて、楽器と場所と時間があって・・・という、今まで当たり前だと思っていたことにかけがえのない価値があったことを、一緒に過ごしてきたからこそ敏感に受け止め、やがて卒業して離ればなれになるいまの仲間との時間・演奏をもっともっと大切にしよう、そう感じたのではないでしょうか。

それは、見ている側にも伝わる、というより見ている側も同じ立場でした。
演奏というのは文字通り一期一会で、音は出た瞬間から減衰し、心に印象を残して消えていくもので、その瞬間の感動こそが最大の価値だと思います。取り戻すべき日常、大切にすべき時間が何かを、音楽を通じて演奏者も観客も共有することができたのではないかと思います。

「欲」も必要ですが、「無欲」は意識しないと得られない(無を得るというのも変な表現ですが)もの。精進したいと思います。

(5月3日 鶴見総合高校和太鼓部演奏会)

(5月4日 都立東大和高校吹奏楽部演奏会)

※写真は仙堂師匠および響の玉田さんからお借りしました。

2011/05/03

手玉にとられたレオさん〜レナード衛藤,TOKIE & SUJI〜

何だかんだと年に1回くらいは行っているレナード衛藤のライブ。
担ぎ桶太鼓のリズムとスタイル、セット太鼓のリフ(?)、音色の温かさと丁寧さでこの人の右に出るプレイヤーはいない、と常々思っていますが、今回はこれも大好きなベーシスト、トッキーことTOKIEさんとの“対決”ということで、楽しみにしていました。

トッキーはRizeの初代ベーシストとして知ったのが初めてでしたが、調べてみるとUAなどCDを持っているアーティストのアルバムに参加したりしています。
そのUAやBlankey Jet Cityのベンジーと組んだAJICO、これもBlankey Jet Cityの中村達也と組んだロザリオス、彼女自身のバンドUnkieなど、彼女のライブはたくさん観ていますが、レオさんとどんなことをやるのか、期待と興味たっぷりでした。

果たしてライブは、期待通りのミニマムなフレーズ合戦でしたが、あのレオさんがまったく手玉にとられ(本人もそれを楽しんでいた節がありましたが)、トッキーに踊らされているようでした。

手に汗握るスリルはいつものことなのですが、ベースと和太鼓という、同じ音域ながらも身体の違うところに作用する音のぶつかり合いの面白さ。相手に応じて変化するレオさんのハイレベルな「出たとこ勝負」さも、今回は文字通りベースがベースにあり、それに乗っかる快感を楽しみながらの「乗ったとこ勝負」な感じ。

こんなレオさん、というかこんな和太鼓は滅多に見られるモノではないでしょう。

タップダンスのSUJIさんとはもうお互いを知り尽くしている感じで、バランス的に理想的だった気がします。

タイコウチの端くれとして、このライブが観られたのは幸せでした。

(2011.4.21 南青山マンダラ)

▼Rize「カミナリ」PV このリフ(のようなもの)でレオさんがイカれました(笑)



2011/04/24

4月18日チャリティライブその2

チャリティライブ観戦レポートその2です。
雑感を並べてみます。

まず出演者ですが、

【第一部】 クラシック&J-POP 
岡田直樹(テノール歌手)/横山隆臣(作曲家・ピアニスト)
竹本洋介/堤千代司/徳寄瞬(シンガーソングライター)

【第二部】 邦楽・和楽器
仲林光子(琵琶・箏)/仲林利恵(みさと笛・能管)
柳家小春(寄席三味線)/菊地良則(尺八)
影山伊作/友野龍士/的場凜(和太鼓)
チェ・ジェチヨル(チャンゴ・ケンガリ他)
仙堂新太郎(小鼓他、音楽コーディネータ)

【第三部】 セッションライブ

という感じでした。


江戸囃子と歌舞伎の黒御簾音楽を題材にした「まつり幻想曲」。
仙堂師匠と友野龍士の「古典バトル」では、さすがに師匠が格の違いを見せつけていましたが、二人の“ブレスト古典ビート”はなかなか圧巻で、利恵さんの能管とのからみも実に見応えがありました。


龍士と影山さんの大太鼓バトルも含め、和太鼓奏者群は気合いの入った魂の演奏。犠牲者を悼みながら、自らの命を確認するかのようでした。


ここに韓国打楽器チャンゴのチェさんが参戦し、一転して「異種格闘技戦」へ。
和楽器奏者たちのつっこんだ魂をいったん平衡に引き戻した上で、手に汗握るビートバトルを展開!
和が現代的リズムを奏でるなかで、海の向こうから古典の風と香を呼んできたチェさんのパフォーマンスでした。
的場凜ちゃんの桶太鼓も、女性とは思えない?芯のある音で男3人と真っ向勝負。かつぎ桶は重力に頼りにくいところを筋力でカバーするため、“筋肉に邪魔されない”女性の打法のメリットが出にくいのですが、さすが厳しい世界を生きてきた凜ちゃんです。

曲は仙堂さんの「海わたる風」でしたが、The J.B.'fでもやってみたくなりました。
とうていこの日のようには出来ないでしょうが、固定メンバー故に「持ち曲」に出来るので、精進したいと思います。

和太鼓演奏の他、吉原のお座敷の音楽や、利恵さんのご母堂・光子さんの箏・琵琶など多彩な内容で、「隅田川の花火は明暦の大火の鎮魂からはじまった」という話も聞け、いろいろと考えさせられるステージでした。

2011/04/19

悼む人

昨日、震災後初めて「チャリティーライブ」を見に行った。その感想、というより改めて考えたこと。

被災地の状況を見るにつけ、いてもたってもいられない思いが強まる一方、仕事を投げ出すわけにもいかず、また、職業自体が損害保険という「ピンチのときのサポート」という性格上、それに勤しむことで、いまの苦難解決の力に少しでもなっていればいい、と言い聞かせてきた。

しかし太鼓打ちの端くれとして、いま何かをやるべきだがいったい何を…と、逡巡は折り重なっていった。
そうこうしているうちに1カ月くらいたって、ある朝震災のニュースを見て急に涙が出てきた。その後はもう、何を見ても目が潤む状態。ことの大きさを受け止めきれずただ慄いていた心が、ようやく事態に直面し始めた気がした。

何か心が宙にさまよっている状態のなかで、「自粛」している場合じゃない、何かしなきゃ、とチャリティーやら支援イベントやらいろいろ具体化を始める一方で、「何か忘れているんじゃないか」と心の隅に常にあった気持ちの正体が、最近になってようやくわかった。

それは、「死を悼む」ということ。

被害が直撃した地の人たちは、亡くなった家族や友人のことを心に大切にしまいながら、必死で明日を迎えようとしておられるのだと思う。そして東京でもいろんな人たちが、前に進んでいくための知恵と力を出し合い、アーティストはそれを応援したり、広げたり呼びかけたり、小さくならずにがんばっている。

だけど、足下を見ること、後ろを振り返ることを忘れていたのではないか。少なくとも自分自身はそうだった。
死びとの歳を数えてもしょうがない、と言われたりもするけど、これだけ多くの人が不幸な亡くなり方をした、そのことを心に刻みつけることは、やっぱり絶対に必要なのだと思う。

起こるべくして起こった災害、しかしあってはならない死、矛盾したこの二つを社会としてどう受け止めるのか、そのためにもまず死者と向きあい死を悼むのだ。

芸術には、人間のただ一つの感情の表現のすべてにすることが許されている。
そして過去の事実とそのときの感情を音に刻み、後世の人間の心に伝える威厳と尊厳が、音楽にはある。

悼みの曲は世界のどこにでもある。

この日のライブでも、追悼の歌が歌われ、花火のルーツが鎮魂にあることが語られ、自分の気持ちを確かめることができた。

日本には、世界中で演奏されている鎮魂の打楽器曲がある。自分にできるレベルの曲じゃないけど、挑戦してみることにした。

(2011.4.18.表参道スパイラルCAYにて。ライブの感想は次回)

2011/04/01

PLAY FOR JAPAN !!

海外からの"Pray for Japan"のメッセージに応えてか、日本のミュージシャンたちが1枚1000円の震災救済支援コンピ・アルバムのリリースを重ねています。すでにvol.10まで作成され、300万円を超える売り上げが義援金として送られたとのこと。

Vol.7にはアラゲホンジの「真昼のゆめ」が、彼らの1stアルバムリリースに先駆けて収録されています。
その他、S.F.U.の中川さん、トンコリのOKIさんなどの大御所も含め、200近いアーティストが参加しています。

以下、制作者のメッセージと収録アーティストをご紹介します。ぜひ、1枚2枚とお買い求めください。
僕はとりあえず2,3,4,5,7あたり買います。
タイトルをクリックすれば、購入サイトに飛べます。

<以下転載>
東日本大地震救済支援コンピレーション・アルバムです。アルバム・タイトル『Play fo Japan』には、「日本の未来のために演奏する」と言う意味を込めています。我々の思いが、少しでも被災地に届きますように。みなさん、一緒に、粘り強く、再建と復興をめざして歩んでいきましょう。

DL期間 : 2011年3月17日〜2011年6月16日
ディレクター : 小林美香子 / 佐々木亘
マスタリング : 岩谷啓士郎
ジャケット・デザイン : 名倉剛志

Play for Japan Vol.1
あたりめ, ハレルヤ, Labor, Parts, MONO, ウミネコサウンズ, オガサワラヒロユキ, sgt., Aureole, world's end girlfriend, number0, TREMORELA, クラムボン, MODLUNG, holiday in tampere club, FLEET, clams, the chef cooks me BAND, フラバルス, Asohgi, elekibass

Play for Japan vol.2
ハリー細野, THE CHOW CHOW CATS, TOSHIYUKI YASUDA, DODDODO, Kama Aina, 菊地成孔, STUTS, BiS, SHABUSHABU, African Head Charge, 高田 漣, ショピン, 加納良英(and Young...), superdumb, ASUNA, 沖 仁, ヴァガボンドcpa, コシミハル, Shinji Masuko a.k.a DMBQ / Boredoms

Play for Japan Vol.3
ゆーきゃん, エマーソン北村,Fragment, NGATARI, Kip Hanrahan, JAZZIDA GRANDE, BESHALIST, JB, keiichiro shibuya, EeL, BooT, convex level, とりP, YAMANE, Paranel, EeMu, audio active, タカラダミチノブ, Pawn, Geskia, 不可思議/wonderboy

Play for Japan Vol.4
イリシットツボイ, ECD, LIKKLE MAI, Limited Express (has gone?), TIALA, the mornings, moools, BLACK GANION, Saddles, あらかじめ決められた恋人たちへ, SAFARI, TRADEMARKS, MASTERPEACE, ガロリンズ, OKI DUB AINU BAND, GOD'S GUTS, Earth No Mad From SIMI LAB, younGSounds, pasadena and クリテツ, V/ACATION

Play for Japan Vol.5
朝日美穂, folk enough, nontroppo, halos, STARBOARD, ユピトーク, 松崎ナオ, World Standard, ロボピッチャー, SEBASTIAN X, SAKANA, 青葉市子, 柳原陽一郎, 佐久間正英(Masahide Sakuma), WEARE!, BOWZ, NolenNiu-de-Ossi, THE CORONA, Traks Boys

Play for Japan Vol.6
dry as dust, おとぎ話, THE BITE, worst taste, Weekend, SPANOVA, lily of the valley, 東京カランコロン, Turntable Films, This World Is Mine, Sorrys!, broken little sister, 石毛輝, アナ, トレモロイド, 空中ループ, idea of joke, LITTLE CREATURES, PaperBagLunchbox

Play for Japan vol.7
山田庵巳, 日比谷カタン, acari, VIDEO, Kanina, ツチヤニボンド, ひらくドア, PLASTIC GIRL IN CLOSET, swimmingpoo1, MOROHA, 半澤則吉, 高畠俊太郎, 井乃頭蓄音団, HELLO HAWK, BLUEⅢ, 呂布, アラゲホンジ, カナタトクラス, 金田康平(aka.THE ラブ人間), 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)

Play for Japan vol.8
佐立努, 転校生(WEEKEND), FLOWER TRIANGLE, Panorama Family, MACKA-CHIN, HAIIRO DE ROSSI, Ambient Chameleon, TREMORELA, DOTAMA, the SHUWA, joseph nothing, us, Tam Tam, ときめき☆ジャンボジャンボ, LIKA, G-Ampere, JUICEBOXXX, BUPPON, Shingo Suzuki, VOLO+piz? Tracked by jjjj

Play for Japan vol.9
俺はこんなもんじゃない, 4CE FINGER, Mitsunori Sakano, WEEKEND, sakuHana, gimmickaholic, GROUNDCOVER., fishing with john, Handsomeboy Technique, キツネの嫁入り, 白波多カミン, FLUID, Vampillia, Currots, スガダイロー, GAGAKIRISE, 柳原陽一郎, BALLOONS, BEAT CARAVAN, SOSITE, 笹口騒音ハーモニカ(太平洋不知火楽団), ドブロク

Play for Japan vol.10
Polar Chalors (HATA from Dachambo, SINSUKE FUJIEDA), Tyme., imaginion, PADOK, 有明け, 中村好伸, 綾戸智恵, sominica, 夢中夢, グリンフィールドのアフターダーク, Gak Sato, Shinsaku Moriyama from PETSET, minamo, monocism, üka, 坂本美雨 with 中島ノブユキ+高田漣, enami Taisuke(江南泰佐), Harp On Mouth Sextet, 4 bonjour's parties

2011/03/31

裏方の出番

自分は裏方タイプだと思っています。

もともと脚光をあびるのが極度に苦手で、本来舞台に立てるようなタイプの人間ではないのですが、それでも音楽・太鼓は好きなので、ステージに立ったりもします。

プレイヤーよりスタッフの方が好きなのですが、プレイヤーとして立つときも、“裏方職人”的なポジションを好みます(力量は求められるのですが)。

僕が参加させてもらっている秩父の祭りとお囃子が大好きなのは、裏方の面目躍如っぷりが実感できるからです。
すなわち、囃子手は祭りの中ではまったくの裏方であり、そもそも見えない山車の中ではたいています。曳き子と若行事(主役)を励まし、祭りを盛り上げ、山車を動かすための音楽です。

ステージで「主役」になるときも、「脇役精神」は忘れずにやってきたつもりです。

震災発生後、いろんなものが「自粛」の名の下に中止に追い込まれています。
経済的ダメージを考えると、もちろんいろんなことの規模を縮小することは避けられないのですが、祭りや音楽まで、文字通り「鳴りを潜め」てしまうのは、どうしても不自然です。

自分が目立ちたいだけ、自分を売り込みたいためだけに音楽をやってきたのであれば、「自粛」という選択肢もあるでしょう。(生計の問題を除けば、ですが)

でも、全国のミュージシャンのみなさん、アーティストのみなさん、ほんとにそれだけですか?

歌や音楽を通して、生きる価値や意味を分かり合い分かちあうことに、意味を見つけていたのではないですか?

何があっても前に進む、そのための励まし、慰め、労り、怒り、悲しみ、喜び、悩み、痛み、苦しみ、迷い、確信、力…それを音にしていたのではありませんか?

かくいう僕自身も、被害のあまりの大きさに、まだ何も実感できず心が空中をさまよっているような、そして自粛と言うよりは萎縮している感覚の中にいます。
でも、彼の地の有り様を思ったとき、「自粛」が果たして意味のあるものなのか、むしろその反対物になっているのではないか、という気がします。

いま、音楽の「脇役的役割」を発揮すべきときではないでしょうか。

すでにギリシャ時代から職業的芸術家は存在し、芸術は一方で「主役」の道を歩んできましたが、あらためて原点に回帰するときが来たのではないでしょうか。

裏方の出番、だと思います。

OOIOO「SOL」



“OOIOO” are
 Yoshimi (vocal, guitar, keyboard, tp) 
 KayaN (guitar) 
 AyA (bass) 
 AI=OLAibi (drums, percussion)

2011/03/28

石原都知事への反論

3月11日、東北地方太平洋沖地震。

東北地方の損害がいったいどのくらいなのか、まだ誰にも想像がつかない。
インフラ復旧どころか、土地や海という、基盤の下の「土台」そのものが破壊され汚染され、マイナスからの再出発だろう。

復興の意味を、「震災前の状態に戻す」ことより「新たな社会と産業をつくる」と捉えなおす必要があるのでは、と思う反面、かけがえのないものが失われ、取り返しのつかないことになった、という喪失感の大きさを自分でもはかりかねている。

岩手の中野七頭舞、さんさ踊り、鬼剣舞、福島の斉太郎節など、僕が直接・間接に触れてきた民俗芸能のなかでも、やはり東北地方のものはとても多い。僕が直接知っている方で犠牲になった方はおられなかったが、家をなくし避難生活を送っておられる方もいるし、親戚を失った方もいるし、当然ながら商売の見通しが立たない、という方もいる。

そして放射能は、黒潮にのれば北東北へ、親潮にのれば銚子沖へ。漁業・海産業も深刻な害を被る可能性がある。

もちろん被災地の現状は、生存のための衣食住とエネルギー源が確保できるかの瀬戸際であり、文化・芸能を云々する状態でないだろうけど、一方で、土地に根付いた文化・芸能まで失われてしまえば、いったい「地元」と呼びうるアイデンティティはどうなってしまうのだろう? 土地を追われた方々を結びつけるものは何なのだろう?
(と書いていたところへこの記事がリツイートされてきた)

ここ東京にもたくさん芸能はあり、三宅島や八丈島の太鼓は全国的に有名だ。
三宅島のみなさんが噴火による火山性の毒ガスで島を離れることを余儀なくされ、それでも島での生活を取り戻そうと苦労を重ねていたとき、当時の都知事は、「なぜ人が住めない三宅島に住もうとするのか」と言い放った。

この知事の「暴言王子」ぶりは言わずもがなで、「障害者に人格はあるのか」「世の中の悪しきものはババア」「震災は天罰」などその枚挙に暇がないが、三宅島への暴言はとりわけ僕の心につきささった。

それは、「暴言」ではあっても「暴論」ではないと感じたからだ。つまり、「住みにくいところに無理をしてでも住むことにどれほどの意味があるのか」という問いに対して、「すまなきゃいいじゃん」というのが一つの回答として成り立っているからだ。ただし、行政権力の長が言っていい言葉ではない。

言いたいのは、この問いは、被災地に住むか否かを問わず、僕らののど元に突きつけられた問いではないか、ということだ。和太鼓打ちには今、自分たちの存在意義がいろんな意味で問われていると思う。

僕の答えははっきりしている。

東北の寒さと農と人がなければ、七頭舞は生まれなかった。

八丈島の潮風と太陽と人がなければ、八丈太鼓は違う太鼓になっていた。

三宅島の人たちが島民であることを棄ててしまえば、木遣り太鼓は若い世代に受け継がれなかった。

音楽・芸能は誰かが「発明」するものではなく、風土と暮らしから生まれ、歴史の中で常に新しい命を吹き込まれながら、絶えることなく生き続けてきた「生きもの」なのだ。娯楽にとどまらず、生活そのものなのだ。

僕らのように都会で生活する人間も、各地の伝統芸能に触れることで、ふるさとのかけがえのなさを教わった。

「石原都知事への反論」としたが、論争をするつもりはない(というか相手にされないし蟷螂の斧だし)。
僕には僕の考えがあり、やるべきことをやるのみだ。

被災地「支援」というよりも、彼の地で失われようとしているもの、僕ら自身が日本人として守らなければならないものを何としても守り通したい、という気分だが、まずは被災地の生活再建。これ自体長い道のりだが、故郷への帰還が少しでもはやまるよう、何ができるか考えたい。

そして和太鼓打ちの端くれとして、いままで与えてもらったものに応えるために、みんなと力をあわせたい。
このブログでもそのうち、何かを呼びかけることになると思う。

そのときは、よろしくお願いします。

・・・と、ここまで書いてみて振り返ってみると、書くまでもない当たり前のことのような気がします。
だけど、当たり前のことも口に出さなければ、だんだん当たり前じゃなくなっていくので、やはりモノを言うことは大事かなー、と思います。

最後になりましたが、この震災の犠牲となった方々に深いお悔やみを申し上げます。
また、被災されたみなさんに、心からお見舞いと激励を申し上げます。
精一杯、復興のために力を尽くしたいと思います。

※発言は一部孫引きです。申し訳ありません。発言の真意に対する評価はさまざまですが、都知事として以前に、僕は社会の一員として許されるものだとは思いません。

2011/03/08

Now is THE GIRL's movie.

「THE GIRL's THEME」


「321out」

ロンドン発アジア!〜Asian Dub Foundation〜

洋楽をチェックしない僕も(好きですが)、CDショップでかかってたりレコメンドされてたりして聴くことになったものがいくつあります。
Asian Dub Foundationもその一つ。アルバム『TANK』が発売された2006年に、HMV渋谷でその存在を知りました。
(そういえばHMV渋谷が復活するというが)

当時すでに一定のキャリアがあり日本でも売れていたらしく、僕は「遅れて知った」部類に入ると思うのですが、とにかく一聴して即ハマりました。
好みでもあるミクスチャー系ヘヴィ・ロックと4つ打ちのDance Beatを土台としながら、発音とメロディ、サウンドにはエスニックな雰囲気がまるで自然に溶け込んでいます。ロンドン在住のインド・バングラディシュ人が中心のバンドだそうですが、大好きなロックの中でもやっぱりアジア寄りが好きなんだなー、と、抗えない本能を感じる音楽でした。僕にとっては。

前回の来日(確かクワトロだったと思います)を逃して、今回初のライブ参戦。5年間待ちのぞみました。会場はO-Eastとあって、(初めて来た人は)「こんな小さいとこでやんのー」と驚いていましたが、ライブハウスとしては大きい方なんですけどね。ADFクラスだと小さいのでしょうが、あの世界レベルのダイナミズムをちょうどいい大きさのハコで堪能できた、という感じです。

しかも会場の揺れ方はハンパなく、あふれんばかりの観客が前は飛びまくり後ろは踊りまくりの大好きな状況。最近は禁止しているところが多いダイブあり、興奮してステージにまで飛び入るタブーを犯す観客あり、と近年見かけない光景がまた興奮を倍増させます。

そうそう、観客にオトコが多いのも特徴でした。ざっとみ半々くらい? 男をライブに呼べる数少ないバンドですね。っていうかもっとライブ行こうよ男ども。

曲名を覚えていないのでセットリストは書けませんが、「エジプトでも、チュニジアでも、リビアでも、みんな何とかかんとか(英語わかりません・・)」とのMCで「A Histry of Now」に行ったときはぞくっと来ました。ロックほど、「今を生きる」という言葉が似合う音楽はないなー、と僕は思います。

(2011.3.4 SHIBUYA O-East)

「A Histry of Now」

「Burning Fence」

2011/02/27

お約束ショットその3 二年坂くだり

晴れてて太陽が低いとiPhoneじゃ露出調整が難しい…

春本番を待つ桜

舞台の下

清水の舞台から飛び降り中!

…嘘です。

お約束ショットその2 清水の舞台

お約束ショットその1 三年坂

梅に合わせたらちょっとアンダー。

清水から望む夜景

ただいま帰省中。
自分が住んでる(住んでた)とこの夜景なんてめったに見ない。見た記憶がない。

2011/02/20

Now is The Girl!(訂正済み)

ワタクシ的ジャパニーズロッカー3傑の一人、日暮愛葉の新バンド・The Girlの初ライブに行ってきました!(「傑」はもともとオトコですが、人物と意訳してくださいませ)


もうかっこ良すぎて何を言っても野暮になりますが、かっこ良かった!何度でも言います(笑)

ロックはやはりビートとリフ!
壮大なロックオペラも好きですが、武器はやはりリフです。

曲を知らなくても楽しめるのは、やはりその音楽の持つ力。
クラシック音楽は知っていてこそ楽しめる要素が多分にありますが(もちろん知らなくても楽しめますが)、ロックのように原始的な衝動を命にした音楽は、とことんミニマルに、というのが一つの勝負のしどころなんでしょう。

野暮はこれくらいにしますが、ロックが好きという人は観るべし!聴くべし!Mustです!
僕は春祭りの稽古始めで残念ながら行けませんが、次は3月6日下北沢です。


対バンの2つ(プラハデパートとcrypt city)もよかったです。
愛葉さんのライブの対バンは、趣味・試行的にはこれまでハズレなし。crypt city は中尾憲太郎さん(ex.Number Girl)のバンドなので当たり前かも知れませんが。



(2011.2.20 下北沢THREE)

2011/02/18

ラン・ラン! LANG LANG ! 郎朗!


なんかこんなひねりのないタイトルばっかですが…

初ラン・ラン@サントリーホールでした。
ピアニストを目的に観に行ったのは、何年か前のフジ子・ヘミング以来ですが、あのときはオケ付きだったので、ピアノ・リサイタルとしても(記憶にあるのは)これがはじめてです。

誰と比べてどうとか、そういうことはちっともわかりませんが、とにかく楽しそうで力強く、情熱に満ちている演奏でした。
とくにベートーヴェン3大ソナタの一、「熱情」は、まるで楽曲の「人格」と肩を組んで語らっているかのような、あるいはがっぷり4つのガチ相撲(笑)のような、楽器あるいは曲との対峙をまざまざと見せつけられました。

太鼓をやっていると、ソロの好きな人とそうじゃない人がいて、僕は後者なんですが、それは音楽を一人でやるという感覚にどうしてもなれない、要するに「内向的」なイメージへの敬遠があるからなんですが、ラン・ランのピアノを見ているとちっとも一人じゃない。
音楽の歴史や存在と自己を向かい合わせて、物理的なぶつかりあいが見えてくるような、そんな演奏です。
去年のいろんな経験から、ロックバンドのライブに行くように、クラシックでも「知っている曲」を聴く面白さがわかってきましたが、生憎この日は「熱情」を少し知っている程度だったので、今度行く機会があれば予習して行きたいと思います。そうするともっといろんなことがわかるでしょう。


この日のプログラムは以下の通り。アンコールはわかりません・・。
<ベートーヴェン>
ピアノ・ソナタ第3番ハ長調op.2-3
ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調op.57「熱情」

<アルベニス>
『イベリア』第1集から「エボカシオン」「港」「セビーリヤの聖体祭」

<プロコフィエフ>
ピアノ・ソナタ第7番変ロ長調op.83「戦争ソナタ」
(2011.2.10 サントリーホール)

↓歴史的競演!

2011/01/27

無音のダイナミズム 〜日本音楽集団〜


日本音楽集団の第202回定期演奏会に行ってきました。

この日の主題は「創造の発展的継承」。その意味するところは僕にはわかりませんでしたが、第一部は「静」、第二部は「動」という感じだったので、前半は心地よく睡魔が襲ってきました(^_^;)

が、第一部最後の「金雀」は、この日の曲の中ではもっとも音数が少ない曲にもかかわらず、すっかり眠気も吹っ飛び、固唾を飲んで聞き入ってしまいました。

この「金雀」は「無音」をテーマにした曲で、舞台後方で客席側を向いた指揮者を真ん中にして6人の奏者が並び、身振り手振りも使って有音・無音を表現する、というものでした。

一瞬の緊張から徐々に弛緩していく、その流れを繰り返すなかで、客席にもその張りつめた空気が伝わってきます。指揮者を客席向きに配置したのも、それをねらってのことなのでしょうか。

短い曲でしたが、曲が終わったときにこぼれた奏者の自然な笑みが印象的でした。

八丈太鼓をたたくときなんかも、何拍分かの「間」には、万感の思いを込めます。
何もないところにすべてがある。例えるならブラックホールでしょうか?

音楽集団の演奏を見ていて、はじめてやってみたいと思った曲でした。
(やれるレベルではないですが)

さて、実はこの日の公演、京都時代から旧知の山内利一くんというタイコウチ・パーカッショニストが集団に入団してのデビュー戦でした。
僕がもっともリスペクトするタイコウチの一人ですが、いまの音楽集団は若返りを計っているらしく、これからもどんどん若い人が活躍しそうです。

次は7月14日、三木稔さんの名曲「マリンバ・スピリチュアル」や江戸囃子を元にした曲をやるようです。
楽しみです。興味のある方はぜひどうぞ。

ことばについて② 障「がい」者って?

前回の「音」から今回は「文字」の話。

難読漢字や漢字の表意性が現在では薄れているもの、あるいは選挙の候補者名などは、漢字を〝開く〟=ひらがな表記にする、ことがよくあります。

①難読漢字
新聞業界では、内閣告示や業界内のルールで、漢字を使わずかな表記にするものが定められています。

例:御輿→みこし / 轟音→ごう音

②漢字の表意性が薄れたもの
これはどこかでこう使う、というルールがあるわけではなく、一定の業界などで慣用的に使われるケースが多いようです。

例:子供→子ども

「供」には、「お供する(親に付き従う)」という意味と、複数を表す意味があり、どちらも現代の「こども」にはその意味がないため表意性が薄れているが、一方で単語・音としての「こども」は定着しており、また代替できる言葉もないため、漢字を開いて使っている、というところだと思います。

選挙の候補者名(ポスターなど)については、「さかもと龍馬」とか、「いとう博文」とか、坂本か阪本か坂元か、伊藤か伊東か、書き間違えたら困る心理(開票作業で無効票にされたら困る)が働くので、ひらがなで書くようになっていったのでしょう。「有権者をバカにしとんのか!」という声も聞きますが、候補者としては無難なほうを取る気持ちはわかります。

で、問題は「障がい者」です。
確かめてはいませんが、鳩山内閣以降、政府としても「害」をひらがなにして使っているようです。
なぜひらがなにしてるのか、The J.B.'fメンバーで全盲で社会福祉士の片岡亮太に聞いて見ると、「害」という漢字のイメージが悪いから、ということだそうです。

僕は直感的に、言いようのない嫌悪感を感じました。
どこまでが健常でどこからが障害か、その線引きはできるのか、という議論はさておいたとしても、社会的に「障害者」と呼ばれている人たちが、人間として生きていくうえでの身体的あるいは精神的な困難さ=障害を抱えているのは、厳然とした事実なのです。

人間の尊厳の問題として、どんなに重い障害があろうが、あるいはなかろうが、人はみな生まれながらに平等だ、というのは言うまでもありません。。たとえ現実社会では平等でなくても、これは幻想でも理想でもなく、それが人類の認識の到達点だと思います。

しかしそれと、「人間としてみな同じだから、その差異をとっぱらおう。イメージの悪い〝害〟という字をひらがなにしよう」というのは、まったく意味が違います。

繰り返しになりますが、「障害」そのものは厳然としてあるのです。

僕が危惧したのは、漢字を覆い隠すことで、結局は社会的なケアが必要とされる「障害」を、社会の努力でに乗り越えていくことから、イメージとして遠ざけるのではないか、ということです。
気にしすぎかも知れませんが、少なくとも純粋に言葉の使い方からすれば、まったくの反対物になってしまうことは間違いありません。

これが、「障害者は自力で生きていけ」という「自立支援法」(特捜のねつ造問題で一躍ヒロインになった村木さんが立役者。一連の騒動は、検察の失態を逆手にとって誰かが絵を描いていたのは間違いないでしょう)の思想・発想と結びつくと、社会的にも政治的にも、やがては思想的にも、障害者が排除されていくことにつながる心配は、杞憂ではないと思います。

言霊が言葉の「心」だとすれば、字は言葉の「体」です。体が蝕まれれば、やがて心も蝕まれていくのでしょう。

「障がい者」と同様、「チャレンジド」という言葉も、同じものを感じます。っていうか、The J.B.'fのなかでは唯一「健常者」とされている僕は、「俺だってチャレンジドや!」と叫びたくなります。
言うまでもありませんが、言葉狩りをするつもりはなく、これらの言葉を使っている人を批判する意図はありません。
ただ、字や言葉と、そこに宿る意味については、もっと大事に考えられるようになれば、と願っています。

2011/01/25

ことばについて① 言霊と音霊

近年、若い人たちの「過剰敬語」や「あいまい表現」が指摘されることが多い。
僕自身はしゃべりが得意なほうではなく、敬語だってちゃんと使えているか自信はないが、物書きの端くれを(短い期間だけど)やっていたこともあり、こうした日本語表現はどうにも気になる性質だ。

「請求書のほうお送りしますので、ご記入のほうよろしくお願いいたします」

「おタバコのほうお吸いになられますか? (いいえ)ではお席のほうへご案内いたします」

「昨日の飲み代の精算とかってどうすればいいですか?」



こんな表現は毎日聞く。

口やかましい「日本語おじさん」にはなりたくないので(笑)、使うことにあまりケチをつける気持ちはないけど、自分が使うことを考えると、とても違和感がある。

「請求書のほう」「おタバコのほう」…では「そうでないほう」とは? 「飲み代とか」…あとは何があるの?
僕は、この「~のほう」等の言葉に気持ちを込めて話すことができない。そこに言葉の意味を感じられないから使えないのだ。
だからこうした言葉を使う人は、果たしてどこまで自分の言葉に意味と気持ちを込めて話しているのか、何となくではあるが訝しく感じてしまう。

過剰敬語には「敬語が足りなくて失礼をしたくない」、あいまい表現には「物事を断定したくない」という、現代の若者の気質があるという指摘は広く行われているし、それは当を得ていて、その気質を全否定すべきこともないと思うが、それよりも、言葉そのものが自分の表現として、あるいはコミュニケーションの手段として大事に扱われなくなってきていることのほうが、僕は重要な問題だと思う。文法的に正しいかどうかなんて、少なくとも口語の世界ではそんなに厳密じゃなくてもいいのではないか。

あいまい表現があまりに気になるとき、僕は「自分の言葉をちゃんと自分で聞いてるか?」と問いかける。
口から出た言葉を、もう一度耳で聞く。言葉は「言の葉」と呼ばれたり「言霊」と呼ばれたりするように、口から発された瞬間から、それ自身の魂を持つのだ。だから口がすべったり、多くの人の心をとらえたりするのだ。

自分の発した言葉にどんな言霊が宿るのか、それは「聞く」ことでしか分からない。そこに自分の気持ちさえ込めていれば、耳で聞いたときに「あ、この言葉じゃない」と己と言霊の相違を発見し、言い直したりもできる。逆に、言霊になって初めて、自分の気持ちが理解できたり、考えが整理されたりすることも多々ある。

音楽も同じだと思う。
僕は太鼓しか演奏できないが、両腕から紡ぎ出されたリズムは、自分自身であると同時に、それ自体に魂が宿り、僕以上の力を持つ。いわば「音霊」だ。一方で、とくにテレビでは、気持ちのこもらない、粗末に扱われたかわいそうな音たちがあふれている。

とはいいながら、僕も自分の演奏に対して「こうじゃなーい!」と自己嫌悪することのほうが日常では圧倒的。

でもただ一つ言えることは、休符も含め、あるいは「音の出る前」と「音が消えた後」も含め、たとえ1曲の中で何千発打とうが、一つの音だって絶対に粗末には扱わない。できそこないの音も含めて。

それだけは自信がある。

2011/01/10

新年ダッシュはアラゲホンジ!


新年初ライブはアラゲホンジ! 1週間のご無沙汰でした(笑)。
今回は響・JBのメンバーも連れて行ったので、人を憚らず踊る人間が増えました。
曼荼羅2は初めてでしたが、写真を見て「あんまり踊れなそうだなー」と思っていましたが、
演奏を聴いてしまえばそんなことはお構いなしに踊ってしまいました。

もろ好みのファンキーなロックチューンに民謡が乗ると、こんなにも楽しいものなのか、と再認識。
やはり日本人だからでしょうか、日本のメロディーには脳幹あたりが反応するような気分です。

亮太よ、やはりアメリカに帰化する前に(笑)見ておくべきだったぞ。

早く次が見たい!

(2011.1.4 MAMDA-LA2)

2011/01/02

北野天満宮

留学する亮太の学問成就を祈念しに天神さんへ。
さすがに人が多く、お札とお守りは買えずじまい。気持ちだけで堪忍してやー。

清明神社と一条戻り橋

3ファイル転送に挑戦

芸能神社

境内にある芸能神社。芸事の神様・天宇受売命(天の岩戸に隠れた天照大神を誘い出すために、男神たちのまえでストリップを踊った女神。神話上「日本最初の芸」)を祀っていて、芸能人や芸術家がたくさんお参りに来ます。
芸の花が日本のそこここに咲くように、お祈りしてきました。

本殿

祭神は清原頼業。この裏手には八百万の神を祀った「八百万神社」があります。万物に神を見たのは日本人特有だそうですが、ヨーロッパのフェアリーと似てるんでしょうか?

車折神社

実家の裏にある車折神社。
そんなに人がくる神社じゃなかったのですが、去年テレビでパワースポットがある、と紹介されたらしく、初詣に行ったら黒山の人だかり!
しかもこんな小さな神社にぞろぞろ車で来やがって(−_−;)
生まれて初めて「車折神社渋滞」を見ました。折れちまえ!…とまでは言いませんが(笑)。

2011/01/01

雪の天龍寺

大晦日に行ってきました。

子どものころはこの季節でもよく雪が降ったが、寺なんぞ見なかった。

京都を離れ、大人になったら年の瀬でも雪は降らなくなった。

というわけで、実家のそばなのに雪の天龍寺は初めてでした。

安倍晴明の墓

実家の近所に、陰陽師・安倍晴明の墓がある。清明ファンくらいしか知らない穴場。

雪の嵐山

メール投稿の練習を兼ねて…
大晦日の雪はやみましたが、嵐山はまだうっすら雪化粧。

新年おめでとうございます

あけましておめでとうございます。
旧年中はたいへんお世話になりました。今年もよろしくお願いします。

2010年はいろんな方たちのつながりのなかで、たくさんの経験ができました。
ざっと振り返ると、
春には、一緒に活動してきた若い仲間がプロプレイヤーになる道を選択し、旅立ちました。

8月にはThe J.B.'f初のソロコンサートが実現、このユニットをつくった意義と課題をたくさん確認することができました。

お盆には初めて徳島へ。「これぞ日本一のお祭り!」と惚れ込んだ阿波踊りを見てきました。

また、The J.B.'fのプロ部隊、片岡亮太と友野龍士の二人がコバケンさんのオケで太鼓を演奏。これを機に僕もクラシックを学ぼうと、読めもしないスコアを買って勉強を始めました。

秋には、響で初めての県外単独公演。芸の力と故郷の価値に気づかされました。

稽古をサボりがちな古典も、ヤフオクで大皷をゲットでき、褌を締め直しているところです。

そして冬、2009年のニューヨーク公演を機にアメリカ留学を決意した片岡亮太が準備渡米。年明けには本格的な留学生活に入ります。
アメリカには学ぶものがたくさんありますが、この崩壊寸前の超大国を肌で学んで来るのもまた、いいタイミングと言えるかも知れません。

太鼓以外では、念願のBAQUEBAワークショップにやっと参加でき、さらにつながりが広がって、お祭りロックバンド「アラゲホンジ」とお近づきになれたり、阿波踊りの連を紹介してもらったり、韓国音楽ともつながりができそうだったりと、今年の飛躍を予感させる年末になりました。

ライブ観戦も何年かぶりに40本を超えましたが、去年ははっきりって当たり年でした。
スティーヴ・ジョーダン、スティーヴ・ガッドという、二人のスーパーレジェンド級ドラマーのステージを見られたり、八代亜紀のすごさに驚愕したり、年末を締めたアラゲホンジは予想の10倍よかったり、ずっと見てきたバンドは申し合わせたかのように新境地を切り開いていたり・・・。そういう年ってあるんですよね。

ということで今年は、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」をモットーに、去年得られた財産を積極的に活用して〝攻めの1年〟にします!宣言!
阪神も頑張れ!