2012/01/27

ご来場ありがとうございました!

1月22日のJB謝肉祭へのご来場、ありがとうございました!
ゲストのみなさん、スタッフのみなさん、ありがとうございました!

The J.B.'fのブログに簡単なご報告を掲載しましたので、よければご覧ください。

http://the-jbf.blogspot.com/2012/01/blog-post.html

2012/01/02

随想2011その2〜冷し中華はじめました〜


タイトルに意味はありません(笑)。

ずーっと、いつか始めたいと思っていた2つのことを、2011年は始めることができました。それは新たな出会いと別れがもたらしてくれたものでした。

一つは阿波踊り。
3年ほど前に実物を見て、僕の30年ほどのエセ芸歴史上最大の衝撃を受けたのが阿波踊りでした。
ネアカだけど情緒たっぷりのお囃子に乗せて、ただ手足を前後に運ぶだけ。これぞジャパニーズ・ミニマル・ダンス&ミュージック、という感じでした。

「そのうちやりたいなー」と思っていたところ、2010年の年末に観に行ったアラゲホンジのライブで阿波踊りを踊るタッキーなる女性を発見、終演後声をかけたところ、「高円寺の江戸歌舞伎連で踊ってるからおいで」ということで、翌2011年2月に初めて門をくぐりました。

手足を運ぶだけ、といっても「らしさ」を出すのは何年も躍り込まないと無理です。
「間口は広いが奥は深い」〜これは庶民が受け継いできた民俗芸能に共通する魅力ですが、究極のシンプルさという意味ではこれ以上のものはないと思います。

もう一つは韓国・朝鮮の打楽器群。
農楽をもとにした打楽器のアンサンブル「サムルノリ」はずっと以前から知ってはいましたが、所属する川崎太鼓仲間・響で2007年に韓国公演をやったとき以来、やる機会を狙ってました。

そして、ブラジル打楽器のグループ「BAQUEBA」のWSで知り合ったとしさんに、この年末、ケンガリ(ハンドシンバル)のレクチャーを受けることができました。僕らThe J.B.'fのライブに向けたレクチャーだったのですが、これを機会にきちんと習い始めたいと思います。

The J.B.'fは4人いるし、サムルノリ(チャンゴ、プク、ケンガリ、チンという4つの打楽器アンサンブル)やろうと思えばできるなー。

そしてそして、どうしてもやりたっかたこの2つに道をつないでくれた、僕にとっての猿田彦・ゆーこちゃんはついにブラジル在住を決意し昨夏渡伯しました。
そしてゆーこちゃん(タマンコ・ブーコ)を紹介してくれた仙の葵ちゃんは、母国フランスに来月帰国します。

出会いが別れを呼び、別れが出会いを呼び、そして体と心に財産を遺して人間は流転する。
人間と音楽と、それをつなぐ楽器に感謝。

随想2011その1〜算数を歪曲する数学〜


あけましておめでとうございます。

昨年を振り返り、グダグダ書くと長文になってしまうので、トピック毎に綴ってみます。

◆震災と原発
まだ何も評価できる状況ではないですが…
政治と経済と産業と科学・学問の関係、メディアの功罪、行政と市民生活、身の丈200cm足らず・急いでも時速30kmのホモ・サピエンスの「身の丈にあった生活」とは何なのか・・。これから答えを出さなければなりません。
この1年、とくにメディアの報道などに接し、一番感じたのは「数学が算数を歪曲する」ことでした。

質量保存の法則というのがあります。
原子核の崩壊熱のエネルギーは、形を変えどこかへ行きます。
放射性物質はその放射能を蓄えたまま、どこかへ行きます。
「冷温停止」で収束、なんてあり得ないのです。

年間被曝量は足し算です。
足されるべきもとの数字がわからなければ、いくら公式を示されたって計算しようがない。
そもそも、種々の放射線が体細胞をどれだけ破壊するのか、わかってないことのほうが多い。
数の数え方も、計算結果の有意性もわからないもとで何を理解し対処しろというのか。

働いた分のエネルギー=価値は、生産物に移転します。
働いてるのに豊かにならないのは、価値がどこかに流れているから。
モノがあふれてるのに働く場が失われるのは、価値の循環に抜け穴があるから。

単純な「足し算・引き算」で考えれば「おかしい」と思うことが、
数学で糊塗され隠蔽され歪曲されていくさまは、学問が欺瞞と裏腹であることを露わにしました。
我が身の中の「ものさし」と「そろばん」を、もっともっと大事にしなければ、と思った1年でした。

足し算の復権を、です。