2011/06/28

でっかくなったぜチャットモンチー


ネタバレ注意です。

自分たちのやりたいことが大好きで、自信を持っているのがよくわかるライブでした。
今回のアルバム『YOU MORE』は初のセルフプロデュースで、とにかく難しいことを考えず楽しくやろう、というのがコンセプトだったようです。ライブでも語っていましたが、「こうでなきゃいけない」「こうしてやろう」というような、ヒットメーカーなればこそのくびきと重圧から解放されて、欲求の赴くままに雑多な音を鳴らした、という観が確かにあります。ベースの福岡晃子も「聴いて感じたままのアルバムです。それ以上の意味はない」と断言していました。

そしてそれは、ライブを通じて初めて完成したというか、本来の命を吹き込まれたのではないでしょうか。アルバムは一聴して肩の力が抜ける印象で、これまでの「狙い目」路線からすると物足りなさを感じなくもありませんが、実際にライブで聴いてみると、「優しさ」「強さ」「情熱」「切なさ」といった彼女たちの持ち味を巧みに楽曲の血肉にした上で、伸びやかにそれを演奏をしている印象がありました。要するにアルバムで聴くより何倍もいい曲に聞こえた、ということです(笑)

もちろん、見るたびにパワーアップしている彼女たちの演奏力がそれを可能にしているのは言うまでもないことです。

圧巻だったのは本編最後の「余韻」。
終盤にかけひたすら同じフレーズを繰り返す「チャット節」を全開にし、そして怒濤のアウトロへ。これまで見られかかった極太のエネルギーがポップロックの枠を打ち破り、観客はあっけにとられて微動だにできない状態でした。

「余韻を楽しんでください」という橋本のマエ説ではじまったこの曲が終わったとき、果たしてアンコールの拍手をしていいものかどうか、ビミョーな空気観が客席を覆っていました。

ここまでやるなら、いっそはじめに「アンコールなし!」と宣言してやればよかったですね。
外タレ以外でアンコール無し、というのは慣れてないでしょうから、半ば儀礼的にコールしてしまうのもやむを得ないですし。

そういえば昔とある超大物バンドの幻の解散ライブ(解散するはずだったライブ)で「アンコール無し!全14曲!死ぬ気で行くぞ!」と吠えてからはじまったことがありました。

ま、その分アンコールは文字通り「おまけ」的位置づけで気楽に楽しめましたが。

セットリストは以下です。
カップリングベスト発売時のライブを逃し、二度と聴けないだろうと思っていた「バスロマンス」が聴けたのは僕にとってはうれしいサプライズでした。この曲をすすめられて、チャットモンチーをちゃんと聴くようになったので。

あ、「謹賀新年」で和太鼓使ってました(^_^)v

<セットリスト>
01.桜前線
02.レディナビゲーション
03.少年のジャンプ
04.シャングリラ
05.謹賀新年
06.バースデーケーキの上を歩いて帰った
07.草原に立つ二本の木のように
08.青春の一番札所
09.Boyfriend
10.バスロマンス
11.涙の行方
12.染まるよ
13.真夜中遊園地
14.Last Love Letter
15.拳銃
16.余韻

E1.ここだけの話
E2.風吹けば恋
E3.ハナノユメ

(2011.6.22 中野サンプラザ)

2011/06/22

さらば祭衆


僕が学生時代、アルバイトでトラをやっていたプロ集団「祭衆」の無期限活動停止によるラストライブがありました(学生時代、といっても予備校にも入らず太鼓ばっかりやってた浪人生だったので、学生と呼べるかどうかはわかりませんが(笑))。

この日はたまたま中国地方への出張帰りだったので、平日でしたが京都での公演を見ることができました。現メンバーは中嶋真、山内利一、馬渕さおり、松尾慧の4名。これに、元メンバーで現在も各方面で演奏活動をしている中条きのこ、川原崎能弘、小林辰哉、川田貞一、滝本ひろ子、由良英寛の6名をゲストに招いて、総勢10名での演奏。表方裏方で、現役を退いた元メンバーも手伝っていました。

思えば発足から25年。初期にお手伝いをさせてもらったのですが、その後同期の能弘が中心的プレイヤーとなり、共通の師匠である仙堂新太郎氏、そして音楽監督的な役割でメンバーとして音楽性の土台を作り上げていった小林潤ちゃん、山内利一くん、新たなグルーヴを吹き込んだ英くん、さおりちゃん、天上人のような慧さんの笛、余人には出せないまこっちゃんの大太鼓サウンド・・・和太鼓音楽の目指す方向は一つではありませんが、「祭衆」はその1角の頂点にこの25年で立ち至ったように思います。

僕自身は、素人に毛が生えた程度のころに手伝っていただけなので、とくに影響を与えるような存在ではありませんでしたが、その後座長となる能弘を引っ張り込んだことと、当時まだ鼓童しかやっていなかった「担ぎ桶」なるものを見よう見まねでやってみて、「できそうだからやってみよう」と能弘に声をかけたのは、功績かな(笑)。ちょうと20年前の話です。

この日の演奏は、気心が知れていつつも普段合わせていないゲストのメンバーを多数迎えて、ということだったので、若干手合わせ不足な印象もところどころありましたが、それを軽く凌駕する過去最高の演奏を見せてくれました。

それだけに、無期限活動停止する理由が僕ら客から見ればわかりません。
が、あくまで当人たちの決めることなので、それぞれの今後を応援していこうと思います。
(2011.6.3 京都府立文化芸術会館)

2011/06/21

シフコビッチ来日!



この間いくつかライブを見ましたが、そのなかからいくつか感想を。

まずN.J.シフコビッチの来日公演から。
ワークショップを見たことはありますが、コンサートとしての演奏を見るのは初めてでした。
仙堂新太郎師匠の知人である上野信一さんの公演にゲスト的位置づけで参加し、全編シフコビッチ作品の中、何曲か(「リズムの神々への祈り」「ストラー」「ラメント・エ・ダンツァ・バルバラ」他)を自ら演奏しました。

日本が昔から好きだったらしく、震災の困難のなか「絶対に来日する」という固い決意で来て頂いたようです。
洋楽打楽器の世界はよくわからないのですが、とにかく野性の固まりのような人でした。

GONNAが和太鼓で演奏している「ラメント~」も演奏されましたが、洋楽打楽器の世界観はこういうものかー、という気がしました。なるほどそういう意味では、原曲の世界観を表現できているので、原曲らしさに触れられた機会でした。
和太鼓での表現は、作者の意図とは別のところで、より深いというか、古の世界観を呼び覚ますものになってます。楽曲に新しい命を吹き込んだ、ということでしょうか。

もちろんGONNAという水準の高い演奏だから出来る面もあるのでしょうが、僕らもトリオ・パ・ウノを演奏しているので、そういった世界観を探求していきたいと思います。

MCでシフコビッチ氏は、日本への多大な感謝を繰り返し表明していました。(だから日本がたいへんな時に来日して演奏したいのだ、とも)
氏、日本の大使館・領事館・外交官が、文化交流や教育支援のためにいろんな国でがんばっているのを見てきたからだ、といいます。「ユーゴは内戦時に外国=NATOによけいなことされたけど…」みたいなニュアンスの話と比較していました。
仙堂師匠に以前聞いたところによると、外交官の人たちは、文化交流のお粗末な予算をカバーするためにポケットマネーでいろいろと骨を折っておられるようです。国(政府)としてはあまり褒められたモンではないですが、そうした取り組みが喜ばれているのはありがたいことです。

(2011.6.1. 国立オリンピック記念青少年総合センター小ホール)
編集済み

2011/05/16

まさかのPUFFY15年


PUFFYの15周年ライブに行ってきました。

もともとニューカマーをこまめにチェックする方ではなく、だいたいブレイク直前くらいに聞き始めたアーティストが多いのですが(例えばBump of Chickenとか)、PUFFYは奥田民生プロデュースということもあり、デビュー当初から追いかけていました。

しかしライブにはいかず、初めていったのは10周年をすぎてから。曲もいいし歌も気持ちいいけど、「バンド音楽」という受け止めでもなく、歌唱力を売りにするわけでもなかったので、CD聞くだけで満足していました。
10周年のときに「1度くらい見ておいた方がいいな」と思ってチケットをとったのが最初で、そのときは都合で結局行けず、3年前くらいに行ったのが最初でした。

予想以上のすばらしいライブに、その後はほぼ毎回足を運び、今回で(ワンマンは)3回目。本人たちもMCで「まさか15年も続くとは、自分たちも思っていなかった」と話していましたが、僕ら聞き手も含め、偽らざる思いでしょう。

もちろん、「使い捨てにさせない」という奥田民生や周りのスタッフの意向があったのは確かなのですが、いくら制作陣・スタッフ・会社が有能でも、本人たちの努力と力量がなければ、15年は続かなかったはず。

ポップロックの優れた楽曲を自然体で歌いこなす力、アミ+ユミのユニゾンの不思議なヴァイブ(あのユニゾンはちょっと他人に真似できないレベルだと思います)、そして自分たちの立ち位置を理解し努力を怠らない姿勢が、作り手も含めロックファンに愛されてやまない「PUFFY」というポップロック・ブランドを作り上げた、とっても過言ではないと思います。

そしてライブはとにかく楽しい!の一言。この時間と空間を衒いなく、気負いなく楽しもうという思いにステージも客席も充ち満ちていて、一つのライブの理想型と言えるかもしれません。

アイドル路線だけでなく、「実力派」路線でも「即換金主義」みたいに利用されその後泣かず飛ばずのアーティストにあふれる音楽業界に、一石を投げ続けて15年。「自然体」「脱力感」が彼女たちを語る冠言葉とされながら、いつのまにかライブ巧者になり、いまや押しも押されもしない地位を確立した存在になりました。いよいよアラフォー世代となり、この後5年10年と、どんな姿を見せてくれるのでしょうか。

期待と同時に、困難さもあろう前途を思うと、やはり応援したい、という気持ちが強いです。

そうそう、震災が発生しツアーの是非を検討した結果、セットリストを変えて臨もう、ということになったそうですが、アンコールのラストはチバユウスケの「誰かが」でした。染みました。
(2011.5.14 日比谷野外音楽堂)

2011/05/06

無欲の欲


連休中、2つの高校部活動のコンサートを見に行きました。
鶴見総合高校和太鼓部と都立東大和高校吹奏楽部で、いずれも3月中の公演予定が震災の影響でGWに延期されていたものです。

どちらも太鼓でつながりのあるメンバーがいる関係で足を運んだのですが、共通して感じたことがありました。

それは、男子部員が2人しかいないこと・・・は(重大ですが)おいといて(笑)、「無欲に」音楽を楽しんでいたことです。

自己表現・自分を見せる、ということはもちろん大切で、それを否定する意味ではありませんが、ブラスバンドのように作曲家が書いた曲をアンサンブルで演奏するとき、昔からの祭囃子や古典音楽を演奏するとき、「己を見せたい」という欲が先に立つと、見えるものも見えなくなるのです。

というよりも、僕自身も、秩父屋台囃子などの伝統的なお囃子、あるいは能や歌舞伎の古典音楽などに触れるようになって、だんだん己を捨てることができ、そこで初めて、一端かも知れませんが真髄に触れるというか、長ーく受け継がれてきたもの“そのもの”に触れられた気がするのです。

当世、高校生が純真無垢だというのは幻想かも知れませんが、少なくとも今回見た高校生たち、彼らの若さ、まじめさ、ひたむきさが、欲に邪魔をさせず曲そのものを楽しみ、そのことで曲そのものが持つ価値を知ることを可能にしたのではないか、と思います。指導者の見識と力量に因るところも大きかったのでしょう。

もう一つ、彼らが無欲になれたのは、やはり震災の影響があったのだと思います。
仲間がいて、楽器と場所と時間があって・・・という、今まで当たり前だと思っていたことにかけがえのない価値があったことを、一緒に過ごしてきたからこそ敏感に受け止め、やがて卒業して離ればなれになるいまの仲間との時間・演奏をもっともっと大切にしよう、そう感じたのではないでしょうか。

それは、見ている側にも伝わる、というより見ている側も同じ立場でした。
演奏というのは文字通り一期一会で、音は出た瞬間から減衰し、心に印象を残して消えていくもので、その瞬間の感動こそが最大の価値だと思います。取り戻すべき日常、大切にすべき時間が何かを、音楽を通じて演奏者も観客も共有することができたのではないかと思います。

「欲」も必要ですが、「無欲」は意識しないと得られない(無を得るというのも変な表現ですが)もの。精進したいと思います。

(5月3日 鶴見総合高校和太鼓部演奏会)

(5月4日 都立東大和高校吹奏楽部演奏会)

※写真は仙堂師匠および響の玉田さんからお借りしました。

2011/05/03

手玉にとられたレオさん〜レナード衛藤,TOKIE & SUJI〜

何だかんだと年に1回くらいは行っているレナード衛藤のライブ。
担ぎ桶太鼓のリズムとスタイル、セット太鼓のリフ(?)、音色の温かさと丁寧さでこの人の右に出るプレイヤーはいない、と常々思っていますが、今回はこれも大好きなベーシスト、トッキーことTOKIEさんとの“対決”ということで、楽しみにしていました。

トッキーはRizeの初代ベーシストとして知ったのが初めてでしたが、調べてみるとUAなどCDを持っているアーティストのアルバムに参加したりしています。
そのUAやBlankey Jet Cityのベンジーと組んだAJICO、これもBlankey Jet Cityの中村達也と組んだロザリオス、彼女自身のバンドUnkieなど、彼女のライブはたくさん観ていますが、レオさんとどんなことをやるのか、期待と興味たっぷりでした。

果たしてライブは、期待通りのミニマムなフレーズ合戦でしたが、あのレオさんがまったく手玉にとられ(本人もそれを楽しんでいた節がありましたが)、トッキーに踊らされているようでした。

手に汗握るスリルはいつものことなのですが、ベースと和太鼓という、同じ音域ながらも身体の違うところに作用する音のぶつかり合いの面白さ。相手に応じて変化するレオさんのハイレベルな「出たとこ勝負」さも、今回は文字通りベースがベースにあり、それに乗っかる快感を楽しみながらの「乗ったとこ勝負」な感じ。

こんなレオさん、というかこんな和太鼓は滅多に見られるモノではないでしょう。

タップダンスのSUJIさんとはもうお互いを知り尽くしている感じで、バランス的に理想的だった気がします。

タイコウチの端くれとして、このライブが観られたのは幸せでした。

(2011.4.21 南青山マンダラ)

▼Rize「カミナリ」PV このリフ(のようなもの)でレオさんがイカれました(笑)



2011/04/24

4月18日チャリティライブその2

チャリティライブ観戦レポートその2です。
雑感を並べてみます。

まず出演者ですが、

【第一部】 クラシック&J-POP 
岡田直樹(テノール歌手)/横山隆臣(作曲家・ピアニスト)
竹本洋介/堤千代司/徳寄瞬(シンガーソングライター)

【第二部】 邦楽・和楽器
仲林光子(琵琶・箏)/仲林利恵(みさと笛・能管)
柳家小春(寄席三味線)/菊地良則(尺八)
影山伊作/友野龍士/的場凜(和太鼓)
チェ・ジェチヨル(チャンゴ・ケンガリ他)
仙堂新太郎(小鼓他、音楽コーディネータ)

【第三部】 セッションライブ

という感じでした。


江戸囃子と歌舞伎の黒御簾音楽を題材にした「まつり幻想曲」。
仙堂師匠と友野龍士の「古典バトル」では、さすがに師匠が格の違いを見せつけていましたが、二人の“ブレスト古典ビート”はなかなか圧巻で、利恵さんの能管とのからみも実に見応えがありました。


龍士と影山さんの大太鼓バトルも含め、和太鼓奏者群は気合いの入った魂の演奏。犠牲者を悼みながら、自らの命を確認するかのようでした。


ここに韓国打楽器チャンゴのチェさんが参戦し、一転して「異種格闘技戦」へ。
和楽器奏者たちのつっこんだ魂をいったん平衡に引き戻した上で、手に汗握るビートバトルを展開!
和が現代的リズムを奏でるなかで、海の向こうから古典の風と香を呼んできたチェさんのパフォーマンスでした。
的場凜ちゃんの桶太鼓も、女性とは思えない?芯のある音で男3人と真っ向勝負。かつぎ桶は重力に頼りにくいところを筋力でカバーするため、“筋肉に邪魔されない”女性の打法のメリットが出にくいのですが、さすが厳しい世界を生きてきた凜ちゃんです。

曲は仙堂さんの「海わたる風」でしたが、The J.B.'fでもやってみたくなりました。
とうていこの日のようには出来ないでしょうが、固定メンバー故に「持ち曲」に出来るので、精進したいと思います。

和太鼓演奏の他、吉原のお座敷の音楽や、利恵さんのご母堂・光子さんの箏・琵琶など多彩な内容で、「隅田川の花火は明暦の大火の鎮魂からはじまった」という話も聞け、いろいろと考えさせられるステージでした。

2011/04/19

悼む人

昨日、震災後初めて「チャリティーライブ」を見に行った。その感想、というより改めて考えたこと。

被災地の状況を見るにつけ、いてもたってもいられない思いが強まる一方、仕事を投げ出すわけにもいかず、また、職業自体が損害保険という「ピンチのときのサポート」という性格上、それに勤しむことで、いまの苦難解決の力に少しでもなっていればいい、と言い聞かせてきた。

しかし太鼓打ちの端くれとして、いま何かをやるべきだがいったい何を…と、逡巡は折り重なっていった。
そうこうしているうちに1カ月くらいたって、ある朝震災のニュースを見て急に涙が出てきた。その後はもう、何を見ても目が潤む状態。ことの大きさを受け止めきれずただ慄いていた心が、ようやく事態に直面し始めた気がした。

何か心が宙にさまよっている状態のなかで、「自粛」している場合じゃない、何かしなきゃ、とチャリティーやら支援イベントやらいろいろ具体化を始める一方で、「何か忘れているんじゃないか」と心の隅に常にあった気持ちの正体が、最近になってようやくわかった。

それは、「死を悼む」ということ。

被害が直撃した地の人たちは、亡くなった家族や友人のことを心に大切にしまいながら、必死で明日を迎えようとしておられるのだと思う。そして東京でもいろんな人たちが、前に進んでいくための知恵と力を出し合い、アーティストはそれを応援したり、広げたり呼びかけたり、小さくならずにがんばっている。

だけど、足下を見ること、後ろを振り返ることを忘れていたのではないか。少なくとも自分自身はそうだった。
死びとの歳を数えてもしょうがない、と言われたりもするけど、これだけ多くの人が不幸な亡くなり方をした、そのことを心に刻みつけることは、やっぱり絶対に必要なのだと思う。

起こるべくして起こった災害、しかしあってはならない死、矛盾したこの二つを社会としてどう受け止めるのか、そのためにもまず死者と向きあい死を悼むのだ。

芸術には、人間のただ一つの感情の表現のすべてにすることが許されている。
そして過去の事実とそのときの感情を音に刻み、後世の人間の心に伝える威厳と尊厳が、音楽にはある。

悼みの曲は世界のどこにでもある。

この日のライブでも、追悼の歌が歌われ、花火のルーツが鎮魂にあることが語られ、自分の気持ちを確かめることができた。

日本には、世界中で演奏されている鎮魂の打楽器曲がある。自分にできるレベルの曲じゃないけど、挑戦してみることにした。

(2011.4.18.表参道スパイラルCAYにて。ライブの感想は次回)

2011/04/01

PLAY FOR JAPAN !!

海外からの"Pray for Japan"のメッセージに応えてか、日本のミュージシャンたちが1枚1000円の震災救済支援コンピ・アルバムのリリースを重ねています。すでにvol.10まで作成され、300万円を超える売り上げが義援金として送られたとのこと。

Vol.7にはアラゲホンジの「真昼のゆめ」が、彼らの1stアルバムリリースに先駆けて収録されています。
その他、S.F.U.の中川さん、トンコリのOKIさんなどの大御所も含め、200近いアーティストが参加しています。

以下、制作者のメッセージと収録アーティストをご紹介します。ぜひ、1枚2枚とお買い求めください。
僕はとりあえず2,3,4,5,7あたり買います。
タイトルをクリックすれば、購入サイトに飛べます。

<以下転載>
東日本大地震救済支援コンピレーション・アルバムです。アルバム・タイトル『Play fo Japan』には、「日本の未来のために演奏する」と言う意味を込めています。我々の思いが、少しでも被災地に届きますように。みなさん、一緒に、粘り強く、再建と復興をめざして歩んでいきましょう。

DL期間 : 2011年3月17日〜2011年6月16日
ディレクター : 小林美香子 / 佐々木亘
マスタリング : 岩谷啓士郎
ジャケット・デザイン : 名倉剛志

Play for Japan Vol.1
あたりめ, ハレルヤ, Labor, Parts, MONO, ウミネコサウンズ, オガサワラヒロユキ, sgt., Aureole, world's end girlfriend, number0, TREMORELA, クラムボン, MODLUNG, holiday in tampere club, FLEET, clams, the chef cooks me BAND, フラバルス, Asohgi, elekibass

Play for Japan vol.2
ハリー細野, THE CHOW CHOW CATS, TOSHIYUKI YASUDA, DODDODO, Kama Aina, 菊地成孔, STUTS, BiS, SHABUSHABU, African Head Charge, 高田 漣, ショピン, 加納良英(and Young...), superdumb, ASUNA, 沖 仁, ヴァガボンドcpa, コシミハル, Shinji Masuko a.k.a DMBQ / Boredoms

Play for Japan Vol.3
ゆーきゃん, エマーソン北村,Fragment, NGATARI, Kip Hanrahan, JAZZIDA GRANDE, BESHALIST, JB, keiichiro shibuya, EeL, BooT, convex level, とりP, YAMANE, Paranel, EeMu, audio active, タカラダミチノブ, Pawn, Geskia, 不可思議/wonderboy

Play for Japan Vol.4
イリシットツボイ, ECD, LIKKLE MAI, Limited Express (has gone?), TIALA, the mornings, moools, BLACK GANION, Saddles, あらかじめ決められた恋人たちへ, SAFARI, TRADEMARKS, MASTERPEACE, ガロリンズ, OKI DUB AINU BAND, GOD'S GUTS, Earth No Mad From SIMI LAB, younGSounds, pasadena and クリテツ, V/ACATION

Play for Japan Vol.5
朝日美穂, folk enough, nontroppo, halos, STARBOARD, ユピトーク, 松崎ナオ, World Standard, ロボピッチャー, SEBASTIAN X, SAKANA, 青葉市子, 柳原陽一郎, 佐久間正英(Masahide Sakuma), WEARE!, BOWZ, NolenNiu-de-Ossi, THE CORONA, Traks Boys

Play for Japan Vol.6
dry as dust, おとぎ話, THE BITE, worst taste, Weekend, SPANOVA, lily of the valley, 東京カランコロン, Turntable Films, This World Is Mine, Sorrys!, broken little sister, 石毛輝, アナ, トレモロイド, 空中ループ, idea of joke, LITTLE CREATURES, PaperBagLunchbox

Play for Japan vol.7
山田庵巳, 日比谷カタン, acari, VIDEO, Kanina, ツチヤニボンド, ひらくドア, PLASTIC GIRL IN CLOSET, swimmingpoo1, MOROHA, 半澤則吉, 高畠俊太郎, 井乃頭蓄音団, HELLO HAWK, BLUEⅢ, 呂布, アラゲホンジ, カナタトクラス, 金田康平(aka.THE ラブ人間), 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)

Play for Japan vol.8
佐立努, 転校生(WEEKEND), FLOWER TRIANGLE, Panorama Family, MACKA-CHIN, HAIIRO DE ROSSI, Ambient Chameleon, TREMORELA, DOTAMA, the SHUWA, joseph nothing, us, Tam Tam, ときめき☆ジャンボジャンボ, LIKA, G-Ampere, JUICEBOXXX, BUPPON, Shingo Suzuki, VOLO+piz? Tracked by jjjj

Play for Japan vol.9
俺はこんなもんじゃない, 4CE FINGER, Mitsunori Sakano, WEEKEND, sakuHana, gimmickaholic, GROUNDCOVER., fishing with john, Handsomeboy Technique, キツネの嫁入り, 白波多カミン, FLUID, Vampillia, Currots, スガダイロー, GAGAKIRISE, 柳原陽一郎, BALLOONS, BEAT CARAVAN, SOSITE, 笹口騒音ハーモニカ(太平洋不知火楽団), ドブロク

Play for Japan vol.10
Polar Chalors (HATA from Dachambo, SINSUKE FUJIEDA), Tyme., imaginion, PADOK, 有明け, 中村好伸, 綾戸智恵, sominica, 夢中夢, グリンフィールドのアフターダーク, Gak Sato, Shinsaku Moriyama from PETSET, minamo, monocism, üka, 坂本美雨 with 中島ノブユキ+高田漣, enami Taisuke(江南泰佐), Harp On Mouth Sextet, 4 bonjour's parties

2011/03/31

裏方の出番

自分は裏方タイプだと思っています。

もともと脚光をあびるのが極度に苦手で、本来舞台に立てるようなタイプの人間ではないのですが、それでも音楽・太鼓は好きなので、ステージに立ったりもします。

プレイヤーよりスタッフの方が好きなのですが、プレイヤーとして立つときも、“裏方職人”的なポジションを好みます(力量は求められるのですが)。

僕が参加させてもらっている秩父の祭りとお囃子が大好きなのは、裏方の面目躍如っぷりが実感できるからです。
すなわち、囃子手は祭りの中ではまったくの裏方であり、そもそも見えない山車の中ではたいています。曳き子と若行事(主役)を励まし、祭りを盛り上げ、山車を動かすための音楽です。

ステージで「主役」になるときも、「脇役精神」は忘れずにやってきたつもりです。

震災発生後、いろんなものが「自粛」の名の下に中止に追い込まれています。
経済的ダメージを考えると、もちろんいろんなことの規模を縮小することは避けられないのですが、祭りや音楽まで、文字通り「鳴りを潜め」てしまうのは、どうしても不自然です。

自分が目立ちたいだけ、自分を売り込みたいためだけに音楽をやってきたのであれば、「自粛」という選択肢もあるでしょう。(生計の問題を除けば、ですが)

でも、全国のミュージシャンのみなさん、アーティストのみなさん、ほんとにそれだけですか?

歌や音楽を通して、生きる価値や意味を分かり合い分かちあうことに、意味を見つけていたのではないですか?

何があっても前に進む、そのための励まし、慰め、労り、怒り、悲しみ、喜び、悩み、痛み、苦しみ、迷い、確信、力…それを音にしていたのではありませんか?

かくいう僕自身も、被害のあまりの大きさに、まだ何も実感できず心が空中をさまよっているような、そして自粛と言うよりは萎縮している感覚の中にいます。
でも、彼の地の有り様を思ったとき、「自粛」が果たして意味のあるものなのか、むしろその反対物になっているのではないか、という気がします。

いま、音楽の「脇役的役割」を発揮すべきときではないでしょうか。

すでにギリシャ時代から職業的芸術家は存在し、芸術は一方で「主役」の道を歩んできましたが、あらためて原点に回帰するときが来たのではないでしょうか。

裏方の出番、だと思います。