2011/05/16

まさかのPUFFY15年


PUFFYの15周年ライブに行ってきました。

もともとニューカマーをこまめにチェックする方ではなく、だいたいブレイク直前くらいに聞き始めたアーティストが多いのですが(例えばBump of Chickenとか)、PUFFYは奥田民生プロデュースということもあり、デビュー当初から追いかけていました。

しかしライブにはいかず、初めていったのは10周年をすぎてから。曲もいいし歌も気持ちいいけど、「バンド音楽」という受け止めでもなく、歌唱力を売りにするわけでもなかったので、CD聞くだけで満足していました。
10周年のときに「1度くらい見ておいた方がいいな」と思ってチケットをとったのが最初で、そのときは都合で結局行けず、3年前くらいに行ったのが最初でした。

予想以上のすばらしいライブに、その後はほぼ毎回足を運び、今回で(ワンマンは)3回目。本人たちもMCで「まさか15年も続くとは、自分たちも思っていなかった」と話していましたが、僕ら聞き手も含め、偽らざる思いでしょう。

もちろん、「使い捨てにさせない」という奥田民生や周りのスタッフの意向があったのは確かなのですが、いくら制作陣・スタッフ・会社が有能でも、本人たちの努力と力量がなければ、15年は続かなかったはず。

ポップロックの優れた楽曲を自然体で歌いこなす力、アミ+ユミのユニゾンの不思議なヴァイブ(あのユニゾンはちょっと他人に真似できないレベルだと思います)、そして自分たちの立ち位置を理解し努力を怠らない姿勢が、作り手も含めロックファンに愛されてやまない「PUFFY」というポップロック・ブランドを作り上げた、とっても過言ではないと思います。

そしてライブはとにかく楽しい!の一言。この時間と空間を衒いなく、気負いなく楽しもうという思いにステージも客席も充ち満ちていて、一つのライブの理想型と言えるかもしれません。

アイドル路線だけでなく、「実力派」路線でも「即換金主義」みたいに利用されその後泣かず飛ばずのアーティストにあふれる音楽業界に、一石を投げ続けて15年。「自然体」「脱力感」が彼女たちを語る冠言葉とされながら、いつのまにかライブ巧者になり、いまや押しも押されもしない地位を確立した存在になりました。いよいよアラフォー世代となり、この後5年10年と、どんな姿を見せてくれるのでしょうか。

期待と同時に、困難さもあろう前途を思うと、やはり応援したい、という気持ちが強いです。

そうそう、震災が発生しツアーの是非を検討した結果、セットリストを変えて臨もう、ということになったそうですが、アンコールのラストはチバユウスケの「誰かが」でした。染みました。
(2011.5.14 日比谷野外音楽堂)

2011/05/06

無欲の欲


連休中、2つの高校部活動のコンサートを見に行きました。
鶴見総合高校和太鼓部と都立東大和高校吹奏楽部で、いずれも3月中の公演予定が震災の影響でGWに延期されていたものです。

どちらも太鼓でつながりのあるメンバーがいる関係で足を運んだのですが、共通して感じたことがありました。

それは、男子部員が2人しかいないこと・・・は(重大ですが)おいといて(笑)、「無欲に」音楽を楽しんでいたことです。

自己表現・自分を見せる、ということはもちろん大切で、それを否定する意味ではありませんが、ブラスバンドのように作曲家が書いた曲をアンサンブルで演奏するとき、昔からの祭囃子や古典音楽を演奏するとき、「己を見せたい」という欲が先に立つと、見えるものも見えなくなるのです。

というよりも、僕自身も、秩父屋台囃子などの伝統的なお囃子、あるいは能や歌舞伎の古典音楽などに触れるようになって、だんだん己を捨てることができ、そこで初めて、一端かも知れませんが真髄に触れるというか、長ーく受け継がれてきたもの“そのもの”に触れられた気がするのです。

当世、高校生が純真無垢だというのは幻想かも知れませんが、少なくとも今回見た高校生たち、彼らの若さ、まじめさ、ひたむきさが、欲に邪魔をさせず曲そのものを楽しみ、そのことで曲そのものが持つ価値を知ることを可能にしたのではないか、と思います。指導者の見識と力量に因るところも大きかったのでしょう。

もう一つ、彼らが無欲になれたのは、やはり震災の影響があったのだと思います。
仲間がいて、楽器と場所と時間があって・・・という、今まで当たり前だと思っていたことにかけがえのない価値があったことを、一緒に過ごしてきたからこそ敏感に受け止め、やがて卒業して離ればなれになるいまの仲間との時間・演奏をもっともっと大切にしよう、そう感じたのではないでしょうか。

それは、見ている側にも伝わる、というより見ている側も同じ立場でした。
演奏というのは文字通り一期一会で、音は出た瞬間から減衰し、心に印象を残して消えていくもので、その瞬間の感動こそが最大の価値だと思います。取り戻すべき日常、大切にすべき時間が何かを、音楽を通じて演奏者も観客も共有することができたのではないかと思います。

「欲」も必要ですが、「無欲」は意識しないと得られない(無を得るというのも変な表現ですが)もの。精進したいと思います。

(5月3日 鶴見総合高校和太鼓部演奏会)

(5月4日 都立東大和高校吹奏楽部演奏会)

※写真は仙堂師匠および響の玉田さんからお借りしました。

2011/05/03

手玉にとられたレオさん〜レナード衛藤,TOKIE & SUJI〜

何だかんだと年に1回くらいは行っているレナード衛藤のライブ。
担ぎ桶太鼓のリズムとスタイル、セット太鼓のリフ(?)、音色の温かさと丁寧さでこの人の右に出るプレイヤーはいない、と常々思っていますが、今回はこれも大好きなベーシスト、トッキーことTOKIEさんとの“対決”ということで、楽しみにしていました。

トッキーはRizeの初代ベーシストとして知ったのが初めてでしたが、調べてみるとUAなどCDを持っているアーティストのアルバムに参加したりしています。
そのUAやBlankey Jet Cityのベンジーと組んだAJICO、これもBlankey Jet Cityの中村達也と組んだロザリオス、彼女自身のバンドUnkieなど、彼女のライブはたくさん観ていますが、レオさんとどんなことをやるのか、期待と興味たっぷりでした。

果たしてライブは、期待通りのミニマムなフレーズ合戦でしたが、あのレオさんがまったく手玉にとられ(本人もそれを楽しんでいた節がありましたが)、トッキーに踊らされているようでした。

手に汗握るスリルはいつものことなのですが、ベースと和太鼓という、同じ音域ながらも身体の違うところに作用する音のぶつかり合いの面白さ。相手に応じて変化するレオさんのハイレベルな「出たとこ勝負」さも、今回は文字通りベースがベースにあり、それに乗っかる快感を楽しみながらの「乗ったとこ勝負」な感じ。

こんなレオさん、というかこんな和太鼓は滅多に見られるモノではないでしょう。

タップダンスのSUJIさんとはもうお互いを知り尽くしている感じで、バランス的に理想的だった気がします。

タイコウチの端くれとして、このライブが観られたのは幸せでした。

(2011.4.21 南青山マンダラ)

▼Rize「カミナリ」PV このリフ(のようなもの)でレオさんがイカれました(笑)