2011/03/28

石原都知事への反論

3月11日、東北地方太平洋沖地震。

東北地方の損害がいったいどのくらいなのか、まだ誰にも想像がつかない。
インフラ復旧どころか、土地や海という、基盤の下の「土台」そのものが破壊され汚染され、マイナスからの再出発だろう。

復興の意味を、「震災前の状態に戻す」ことより「新たな社会と産業をつくる」と捉えなおす必要があるのでは、と思う反面、かけがえのないものが失われ、取り返しのつかないことになった、という喪失感の大きさを自分でもはかりかねている。

岩手の中野七頭舞、さんさ踊り、鬼剣舞、福島の斉太郎節など、僕が直接・間接に触れてきた民俗芸能のなかでも、やはり東北地方のものはとても多い。僕が直接知っている方で犠牲になった方はおられなかったが、家をなくし避難生活を送っておられる方もいるし、親戚を失った方もいるし、当然ながら商売の見通しが立たない、という方もいる。

そして放射能は、黒潮にのれば北東北へ、親潮にのれば銚子沖へ。漁業・海産業も深刻な害を被る可能性がある。

もちろん被災地の現状は、生存のための衣食住とエネルギー源が確保できるかの瀬戸際であり、文化・芸能を云々する状態でないだろうけど、一方で、土地に根付いた文化・芸能まで失われてしまえば、いったい「地元」と呼びうるアイデンティティはどうなってしまうのだろう? 土地を追われた方々を結びつけるものは何なのだろう?
(と書いていたところへこの記事がリツイートされてきた)

ここ東京にもたくさん芸能はあり、三宅島や八丈島の太鼓は全国的に有名だ。
三宅島のみなさんが噴火による火山性の毒ガスで島を離れることを余儀なくされ、それでも島での生活を取り戻そうと苦労を重ねていたとき、当時の都知事は、「なぜ人が住めない三宅島に住もうとするのか」と言い放った。

この知事の「暴言王子」ぶりは言わずもがなで、「障害者に人格はあるのか」「世の中の悪しきものはババア」「震災は天罰」などその枚挙に暇がないが、三宅島への暴言はとりわけ僕の心につきささった。

それは、「暴言」ではあっても「暴論」ではないと感じたからだ。つまり、「住みにくいところに無理をしてでも住むことにどれほどの意味があるのか」という問いに対して、「すまなきゃいいじゃん」というのが一つの回答として成り立っているからだ。ただし、行政権力の長が言っていい言葉ではない。

言いたいのは、この問いは、被災地に住むか否かを問わず、僕らののど元に突きつけられた問いではないか、ということだ。和太鼓打ちには今、自分たちの存在意義がいろんな意味で問われていると思う。

僕の答えははっきりしている。

東北の寒さと農と人がなければ、七頭舞は生まれなかった。

八丈島の潮風と太陽と人がなければ、八丈太鼓は違う太鼓になっていた。

三宅島の人たちが島民であることを棄ててしまえば、木遣り太鼓は若い世代に受け継がれなかった。

音楽・芸能は誰かが「発明」するものではなく、風土と暮らしから生まれ、歴史の中で常に新しい命を吹き込まれながら、絶えることなく生き続けてきた「生きもの」なのだ。娯楽にとどまらず、生活そのものなのだ。

僕らのように都会で生活する人間も、各地の伝統芸能に触れることで、ふるさとのかけがえのなさを教わった。

「石原都知事への反論」としたが、論争をするつもりはない(というか相手にされないし蟷螂の斧だし)。
僕には僕の考えがあり、やるべきことをやるのみだ。

被災地「支援」というよりも、彼の地で失われようとしているもの、僕ら自身が日本人として守らなければならないものを何としても守り通したい、という気分だが、まずは被災地の生活再建。これ自体長い道のりだが、故郷への帰還が少しでもはやまるよう、何ができるか考えたい。

そして和太鼓打ちの端くれとして、いままで与えてもらったものに応えるために、みんなと力をあわせたい。
このブログでもそのうち、何かを呼びかけることになると思う。

そのときは、よろしくお願いします。

・・・と、ここまで書いてみて振り返ってみると、書くまでもない当たり前のことのような気がします。
だけど、当たり前のことも口に出さなければ、だんだん当たり前じゃなくなっていくので、やはりモノを言うことは大事かなー、と思います。

最後になりましたが、この震災の犠牲となった方々に深いお悔やみを申し上げます。
また、被災されたみなさんに、心からお見舞いと激励を申し上げます。
精一杯、復興のために力を尽くしたいと思います。

※発言は一部孫引きです。申し訳ありません。発言の真意に対する評価はさまざまですが、都知事として以前に、僕は社会の一員として許されるものだとは思いません。

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