2011/03/31

裏方の出番

自分は裏方タイプだと思っています。

もともと脚光をあびるのが極度に苦手で、本来舞台に立てるようなタイプの人間ではないのですが、それでも音楽・太鼓は好きなので、ステージに立ったりもします。

プレイヤーよりスタッフの方が好きなのですが、プレイヤーとして立つときも、“裏方職人”的なポジションを好みます(力量は求められるのですが)。

僕が参加させてもらっている秩父の祭りとお囃子が大好きなのは、裏方の面目躍如っぷりが実感できるからです。
すなわち、囃子手は祭りの中ではまったくの裏方であり、そもそも見えない山車の中ではたいています。曳き子と若行事(主役)を励まし、祭りを盛り上げ、山車を動かすための音楽です。

ステージで「主役」になるときも、「脇役精神」は忘れずにやってきたつもりです。

震災発生後、いろんなものが「自粛」の名の下に中止に追い込まれています。
経済的ダメージを考えると、もちろんいろんなことの規模を縮小することは避けられないのですが、祭りや音楽まで、文字通り「鳴りを潜め」てしまうのは、どうしても不自然です。

自分が目立ちたいだけ、自分を売り込みたいためだけに音楽をやってきたのであれば、「自粛」という選択肢もあるでしょう。(生計の問題を除けば、ですが)

でも、全国のミュージシャンのみなさん、アーティストのみなさん、ほんとにそれだけですか?

歌や音楽を通して、生きる価値や意味を分かり合い分かちあうことに、意味を見つけていたのではないですか?

何があっても前に進む、そのための励まし、慰め、労り、怒り、悲しみ、喜び、悩み、痛み、苦しみ、迷い、確信、力…それを音にしていたのではありませんか?

かくいう僕自身も、被害のあまりの大きさに、まだ何も実感できず心が空中をさまよっているような、そして自粛と言うよりは萎縮している感覚の中にいます。
でも、彼の地の有り様を思ったとき、「自粛」が果たして意味のあるものなのか、むしろその反対物になっているのではないか、という気がします。

いま、音楽の「脇役的役割」を発揮すべきときではないでしょうか。

すでにギリシャ時代から職業的芸術家は存在し、芸術は一方で「主役」の道を歩んできましたが、あらためて原点に回帰するときが来たのではないでしょうか。

裏方の出番、だと思います。

2 件のコメント:

  1. まさに全面的に賛意を表します。

    返信削除
  2. よし、しんのすけさん、17日、一緒に打とう!

    返信削除